で、今日のお題(課題)は、「美しい手」。
美しいって、どういうことだろう?と、考える訳です。
西洋だと、ギリシア・ローマ時代や、ルネサンスの頃など、理想的な美の様式があって、例えば黄金比に代表されるようなプロポーション(比率・比例)であったり、構成やバランスなどが、論理的に(半ば数学的とも言えるほど)考えられていたようです。
そうした美の捉え方も、あるでしょう。
さて、私の場合は・・・。
ちなみに、こちらが、私が描いた、「美しい手」。

・・・モデルが悪いんじゃないの?という話もありますが、それはさておき。
え〜?これが美しい手の形?という話も・・・。まぁいいとして。
デッサン狂ってんじゃないの?という話も・・・。すいません、勘弁して下さい。
自分なりに、考えるには考えたんですよ。例えば、しなやかさ、とか、曲線的、内に秘めるもの、適度に力の抜けた穏やかな安らぎ・・・とか。
1時間で描きあげた後、全員でそれぞれが描いた絵を見ながら、何故その形にしたのか、説明したり。で、他の学生が、どんなイメージを持ってそういう形にしたのか、と言うと・・・。
「ピアノを引く手」
「貴婦人の手」
「何かを持っている手」
「仏像(菩薩)の手」
「女性の手」
「マンダムな手(?)」
などなど。
「ピアノを引く手」というのは、やはり美しい曲を奏でているとき、というイメージなのでしょう。講師の方の(というか、担当しているのは校長先生ですが)解説の中にもあったように、1つの目的に向かって、無駄なく動くものの中に感じられる美しさ、というのは、確かにあるような気がします。いろいろな分野のプロや職人さんの、無駄のない動き、流れるような身のこなしで作業しているところを見ると、やはり一種の美しさを感じます。優れて機能的であるがゆえの、美しさ。職人さんや年配の方の、ごつごつとして皺だらけの手に、美しさを感じられる方もいらっしゃると思います。
それから、「女性の手」や「菩薩の手」などからは、細く、長い指がすらっと伸びていたり、しなやかに曲がるイメージが浮かび上がってきます。
また、程よい緊張感がある、というイメージを、何人かが共通して持っていました。力んでいるわけでもなく、弛緩しているわけでもない。精神的な強さと安定を兼ね備えているような、自然体の手の形。
ちなみに、「マンダムな手」をイメージした学生は、最終的に描き上げてみると、「美しい手」ではなく、本人いわく「邪悪な手」になっていました・・・。
指の開き具合や角度、掌に包み込むような空間を持たせたり、構成の美しさを狙った学生も少なからずいましたが、「美しい」という言葉によって想起される概念的なもの、講師の方いわく、「形の背後にある精神的な部分」に注目した学生が、私も含めて多かったようです。
「美しさ」って、何だろう?
様式化された美の定理、というものも、確かにあると思います。
でもまた一方では、美しいと感じるのは、人の心。そこにある種の普遍性はありえても、絶対的なものではありません。
人の心は例外だらけで、唯一無二の方程式で割り切れるものではない、と思います。
「美しさ」について、オードリ―・ヘップバーンが紹介した言葉、私は大好きです。
「『魅力的な唇にするために、思いやりのある言葉を語り、
かわいらしい瞳にするために、人の素晴らしいところをよく見て探し、
スリムな体型にするために、飢えに苦しんでいる人と食べ物を分かちあい、
美しい髪にするために、髪の毛を子供に触れさせ、
よい姿勢を保つために、人は決して一人で人生を歩む事はない、ということを理解して歩く女性。』
そういう女性が、美しい女性です。」
(『 』内の言葉は、もともとは、Sam Levenson という人の、"Time-Tested Beauty Tips"という詩からきているそうです。)
「金属の手(05/5/10)」で、ココ・シャネルの言葉を紹介しましたが、どちらも、内面的な美しさについて語られています。片や、ハリウッド屈指の女優。片や、有名ブランドの創始者。一見、「外見上の美」の象徴のような二人が、ともに、内面的な美しさこそ、本当の美しさなのだと語っていることが、私にはとても印象的なのです。
あなたは、何に「美しさ」を感じますか?
いつも読んでくださって、ありがとうございます。
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