本当に欲しいものなのか、本当に必要なものなのか、ずっと長く使っていけるものなのか・・・。
何度も何度も引越しを繰り返すうちに、あまりの荷物の多さにうんざりして、あんまりにも使っていないものが多いことに気がついてから、かもしれません。
大量生産・大量消費ではないものづくりを志してから、かもしれません。
ともかくも、そんな風に思い始めてからは、ずいぶん買うものが減りました。
欲しいと思うものは、ずっと心の中にあって、でもずっと探しているままだったりします。
一眼レフのデジカメも、本格的に欲しいと思ってからだと、もう5年くらい・・・。でも、いまだに買えてません(^^ゞ。
作品の撮影だとか、DMやパンフレットの入稿用の画像だとか、というと、やっぱりきちんと撮ったほうがいいのかな、と思いつつ・・・。今までは、グループの仲間に、一眼レフを持っていてちゃんと撮影できる人がいてくれて、本当に助かっていますが、でもそろそろ、自分も動けるようにしておいた方がいいですもんね。
何かを欲しいと思ってから、ずっとどこかで探していると、「その日」がいつかちゃんと訪れるようにも感じています。
あ、これだ!と思えるものに出会えるときだったり。
よし、今買おう!と思える時だったり。
これからずっと長い間、何十年、もしかしたら一生、ひょっとしたら、それ以上、長く長く、使っていけるような、付き合っていけるような、そんなものにめぐり合えたとき。
だから、結構迷ってしまう時は、あぁ、まだ買うときじゃないのかもな、と思うことにしています。
今のデジカメも、もうだいぶベテラン選手になってきました。
今気がつきましたが、このブログの写真も、たぶん前の時のブログも、携帯からの写メール以外は、最初から全部今のデジカメで撮影してたんですね!
それにしても、また昨日ちょうど、一眼レフのデジカメは、今が買い時だ、みたいな記事を読んでしまって・・・。う〜ん、また心揺り動かされる時が来てしまいましたね。(^^ゞ
ラベル:買い物
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それにしても、飯野先生の蔵書の凄さには、圧倒されました。
やはり、心が深く求めているもの、ということなのかもしれませんね。
そういえば、デジカメもそうですが、何か道具や機械を欲しくなったとき、なぜか松岡先生の言葉を思い出してしまいます。
「すばらしい技術を持てば
物を作れると考えている人たちが
非常に多い気がします。
あくまで人の想像力が根本にあり
その思いを形にしていくために技術が生まれてこないと、
技術だけが一人歩きしてしまいます。」
(「鉄楽」より)
ものづくりでいうところの、想像力。
写真を撮ろうとする時の、ものを見る目。対象への向かう姿勢。飯野先生のおっしゃられた、「愛情」のようなもの。
いくら道具が優れていても、そもそもの自分は、それを持ち、使いこなせるほどにふさわしいものを持っているだろうか?
そう思うと、もう少し頑張ってから、自分自身の中にあるものが、今あるものでは収まりきらなくなってきたと感じられるようになったときが、次のステップのものを買い求める時なのかな、とも思います。