
もうすっかり前の話になってしまいましたが、先月パソコンがクラッシュしてしまったときのこと。
仕事関係のデータなどは、クラッシュする直前に別のハードディスク領域に移していたため、ほぼ無事だったのですが、メインのハードディスクが物理的にクラッシュしてしまっていて、そちらのデータは飛んでしまい、修復不能でした。
何より痛恨の極みだったのは、メールのデータがすべて消えてしまったこと。
それまで受け取っていたメールも、やり取りしたいくつものメールも、何年ものデータが、すべて。
偶然のように、重なるときには重なって、畳み掛けるような喪失感に、しばらく気力も力もすっかり失せてしまって、何も考えられずに呆然としていました。
けれども、また一から再構築しなおして、メールソフトを起動したとき。サーバーにまだ削除されずに残っていて、改めて受信トレイに届いた、一番古い日付のメールは、大切な方から最後に頂いたメッセージでした。
ひとつひとつが、ただただ、偶然に重なっただけのこと。
そう言ってしまえば、そうなのかもしれません。
偶然の重なり合い、積み重ねの中に、出会い、失い、連なっていくもの。
あらゆるものが必然のように、意味があることなのか。
偶然の結びつきには、意味など何もないのか。
あるのかもしれないし、ないのかもしれない。
本当のところは、決して分かりはしないのだとしても、それでも人は、そこに意味を探し出そうとする生き物なのかもしれない。
ふと、そんなことを思います。
捜し求め、見出そうとし、そこに何か意味を感じ取ろうとする。
そこに、「人」らしさを感じるような気もします。
だからこそ、人は人でいられるような気がします。

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他の方も、同じときに同じようなことが重なったりしていて、本当にただの偶然だけではないような、とても不思議な経験でした。
人は、意味を感じ取ることで、なおさら、どう生きるのか、問いかけられ、考えさせられるようにも感じます。
とてもいい言葉だなぁと思いました。
最後のメッセージがもう一度来たということはきっとそれは念を押されたのかもしれませんね。
ちゃんと続きはやってよねって(笑)
またどこかで一緒に夢の続きを語りましょう。
「ちゃんと続きはやってよねって(笑)」
やっぱり念を押されたということなのかもしれませんね。
ふとした折に、何かの拍子に、失われてしまったものを思い出してしまう「何か」があって、あぁ、と思ったりもしますが、それもきっと、振り返るためというよりは、前へ進むために気づかせてくれるのかもしれませんね。
続きは、また、ぜひ一緒に。