2005年08月07日

「物作り」と「美しさ」と。 〜手仕事の意味〜

この間の記事、「『待合』を作ろう!・・・って、マジですか。(8/4)」 の記事に、「陶工房」店長さんから頂いた、とても実感のこもった貴重なコメント。
「キレイ」さと「美しさ」のこと、「美しい」という言葉に含まれている「温度」・・・。
私も多分に共感できるところもあり、いろいろとコメントをお返ししようと書いていたら、また長くなってしまいそうになったので、改めて記事としてUPすることにしました。


今回の建築実習で、お茶室の手前にある「待合」を作る事となり、その作業を進めていくことは、昔からの日本人の美意識、というものにも思いを馳せる良い機会となりました。
前述のコメントにも書きましたが、最近のものはともかく、昔に作られたものは、それこそ何気なくあるものひとつとっても、手間や技や惜しげもなくかけられていて、そこに込められた思いの深さを感じてしまいます。お茶室や茶道などは、そうした、昔からの日本人の美意識の詰まった空間演出の、最たるもののひとつなのでは、と。
そして、何となくですが、そのあたりの事が、ただ単に見た目だけ「キレイ」なものと、心を打つような「美しさ」との違いにも関係してくるような気がしてきています。そのあたりに、手作りにこだわっていくことの意味や意義も連なってくるような、そんな気もしてくるのです。

このコメントに対して、店長さんから頂いたコメントの、「キレイ」と「美しさ」の例えが、確かにそういった感じがあるというか、かなり的確な比喩なのでは、と思いました。(私もだいたい似たような感覚で使い分けています。)

そう言えば、以前にも私は「『キレイ』なもの。(6/24)」という記事で、ちょこっと話題に載せていた事もありました。


今回の実習の最初の方で、阿保さんがおっしゃっていた、「キレイ」さと「美しさ」に繋がるような、とても印象的なこと。
それは、法隆寺の伽藍のお話でした。


ちょっとどうでもいい話を差し挟んでしまいますが、恥ずかしながら私は、記憶力がすこぶる悪くて。ちょっと聞いただけの単語などは覚えられないので、「あの説明してれた構造の名前、何だっけ・・・」と、後から困る事が多くて・・・。で、微かな記憶を頼りに、ネット検索して・・・。あ〜、阿保さんがおっしゃっていたのは、「法隆寺回廊の連子(れんじ)格子」という名前のものだったようです。



ご参考までに、「法隆寺回廊の連子格子」とは・・・。
「国宝建築探訪」というページの一番下に、「写真−4 法隆寺回廊連子格子」が載っていました。 それから、同サイトの「木材は割って使われていた」という項にも、関連する記事がありました。



この連子格子に使われている材は、鋸などで製材されたものではなく、縦に割って作られているそうです。
縦に割る、とは、つまり木目に従って自然に割れるということで、木目は木の成長の過程そのものを示すわけですから、出来上がる材は、当然、僅かではあっても、元の木で根元に近い方が太く、末(梢)に近い方は細くなっていきます。
阿保さんは、その本当に僅かではあるけれども、下から上へと細くなっていく材が整然と立ち並んだ様が、大変心を打たれる美しさだった、とおっしゃっていました。あれがもし、機械で製材されたとしたら、上から下までまったく均等な大きさ、太さの材となり、それはそれでパッと見「キレイ」に見えるかもしれないけれど、決して心は打たれない、と。

材の特性を知り尽くし、技術を極め、本来あるべき姿とは何かを知っている阿保さんのような方でなければ、それは、本質的には感じ取る事ができない領域の話なのかもしれません。つまり、今の自分では、言葉の上で「なるほど」と思い、仮に実際に目にして「なるほど」と思ったとしても、それは阿保さんにそう言われたからであって、その本質的なところまで自らの感覚で感じ取る事は、きっとできないのでしょう。
それでも、この話は、とても印象的で、ここに、手で作ることの意味に関して、ひとつのヒントがあるように感じました。


ただ、ひとつ感じ取れるようになった事。
それは、建築実習5日目に、阿保さん率いる耕木杜の施工された住宅を、軽井沢まで見学に行った時のことでした。

050805-01-s















(画像の住宅の施工の様子は、耕木杜のサイトでも紹介されていますので、ご参考までに・・・ ⇒ 「現場日誌」


そこには、耕木杜の手がけられたテーブルもあったのですが・・・。そのテーブルの仕上がりの美しさ。カンナで仕上げられた、感動的なまでに滑らかな天板の肌触り。実は、軽井沢から帰ってきてから、みんなで食事に出かけたのですが、行った先にあった別の木のテーブルを目にした時に、それがあまりにも違う事に、愕然としてしまいました。
後で目にしたテーブルは、クラフト関係では恐らくまぁ一般的な感じのもので、阿保さんのテーブルを目にする前であったら、「よくありそうなもの」として、別段気になるような事はなかっただろうと思います。けれども、前述の阿保さんのテーブルと比べてしまった時に、その別のテーブルの、ぺったりとした、ある意味気持ちが悪いほどに艶やかな、その天板は・・・、例え素材として木を使っていたとしても、その良さがまったく伝わってこない、極めて「人工的」なものに、すでに置き換わってしまっているように感じてしまったのです。
こんなにも違うのか。その事に、初めて気がついた瞬間でした。

阿保さんは、また、手道具を使う事と機械や電動工具を使う事の違いについても、おっしゃっていました。
機械を使えば、加工した時には、確かに正確な直線が得られるかもしれません。しかしそれは、本当に一瞬だけの事。
木は、材として作られた後でも、乾燥や湿度によって、収縮したりします。何年後、何十年後のそれらの姿すら見通して作るのがプロであり、そして、それらの加工は、材を知り尽くし、手道具を駆使した技でなければ、対応できないのだと。
そうした工夫の片鱗についても、実際の施工例を前に説明して頂けたことで、なお一層、手で作ることの意義を感じるようになりました。


「キレイ」さと「美しさ」。そこには、たくさんの人の、その人なりの判断基準や主観的なものがあり、一概にどうこういえるものでは、確かにありません。ここで述べているのも、結局は私の個人的な意見に過ぎませんが。
今までにも、漠然と「あ、これだ!」と感じる事と、「何か違う・・・」と感じる事はあったのですが、それが何故か、という事をはっきりとは言い表せませんでした。もちろん、そう感じることは、多分に主観的な私の好みによるところも大きいのですけれどね。
結局のところ、私が「キレイ」と「美しい」を使い分けているのは、(私なりの個人的な感覚や判断基準で)それが表面上の見た目の上だけに留まってしまっているのか、それよりもさらに奥の本質的なところまで突き詰めていっているのか、の違いによるものなのだと思います。


ただ、手作りなら何でもいいかと言えば、決してそうではない、ということも、今回の実習を通して、強く感じた事です。

そのあたりの事は、また、長くなってしまいそうなので、ここでいったんコマーシャル(笑)。
コメントで店長さんもおっしゃっていたように、こうした話は、いくら書いても尽きないですね。



店長さん、コメントありがとうございます!
「陶工房」店長さんのBlogは、こちら ⇒ 若手アーティストの店【陶工房】 店長日記 



と言うわけで、この記事、「効率主義の代償」に続きます・・・。



明日館での卒業制作展まで、あと180日!

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