2005年10月23日

不器用だからこそ

昨日の作業で・・・。

ようやく、こちら、完成形まで辿り着くことが出来ました〜!!

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と、言いたいところですが、まだ裏は仮溶接
しかも、一度つけて見たものの、接合面が微妙に合っていない(段差が残っている)んですね。
で、しばらく悩んだあと・・・、やっぱり一回外して、もう一度調整し直した方がいいな、と。

それが終われば、ようやく後は、仕上げ作業のみに!

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昨日はかなりグラインダーをかけていたんですが、こうしたハコモノの際は特に、内部をかけていると飛び散った鉄粉がバンバン跳ね返ってくるので・・・。全身鉄粉まみれに。こういうとき、大概マスクを外すと、鼻筋あたりが真っ黒になっているので、誰か来て「え?何?」なんて気づかずにマスクを外すと、笑われたりしますね。いや、ま〜、いいんですけど。

笑ってくれたら、それでいいじゃないか。

長袖&保護メガネで防御もしているんですけどね〜。やっぱり入り込んでくるものはあるので、後で、かなり「ちくちく」というか痒くなります。
特に、首周りだとか、長袖と皮手袋の間だとか・・・。手首のあたりに、ん?ホクロが増えた?と思って引っかくと、ポロっと取れて鉄粉だった、なんてことも・・・。

まぁ、それはともかく。


作っている最中は、あんまり気がつかなかったのですが、こうしてようやく姿を現した全体像を見ていたら、あぁ、これって、3年間の自分なりの集大成になっていたんだ・・・と。
この3年間、学んできた作業や技術のかなりの部分がこの中に含まれていました。
卒業制作の方は、意識的に3年間の集大成になるようなものにしよう!と意気込んでいたのですが、こちらで図らずも、一足先にひとつの結果を出したような感じになったのかもしれません。


正直に言ったら、もしかしたら今回制作したものが、今までの中で一番かっちりきっちりとしたものなんじゃないかと(笑)。
もちろん、今の私は、段階(レベル?)的にはまだまだですし、まだまだ途上というか、スタートラインにようやく立てたのかな、といったところなのですが・・・。
でも、正直、よくここまで作れるようになったなぁ、と・・・、感慨深く思ってしまいました。


何と言うかですね、私、器用な方では決してありません。たまに誤解されたりもするんですが・・・。
物作りも、その他の様々な事も、(あ、生き方も、かなぁ・・・)、どちらかといえば器用じゃない。


金属工房で、初めて道具の使い方を教わった時も、初めて作ったものも、今思えば恥ずかしいくらいグダグダな出来栄えでした。同級生や後輩達の初めての作業なんか見た日には、「うわ、自分の時より確実にうまくできてる・・・」と、陰でこっそりへこんでいたことが何度あったことか。
でも、今こうして、ある程度まっとうなものも出来るようになれたのは・・・、本当に、ただただひたすらやってきたからなのだと、改めて思います。


そうして、ともかくもここまで出来るようになれたのは、器用じゃなかったおかげなのだとも。
器用貧乏、という言葉がありますが、まさにその逆のような感じですね。器用じゃないのが分かっているので、いくら失敗しても、「そのうち出来るようになるはず」と、努力することが出来る。どれほど人より時間がかかろうとも、その分、人より時間を費やせば、人並みくらいか、それよりちょこっと飛び出るくらいまでは、誰にだって辿り着ける。当たり前の事ですよね、やればやるだけ、それは確実に身についていくのですから・・・。


もしも、私が自分のことを器用だと勘違いしていたら・・・。
ちょこっとやって、思い通りにならなかったら、「これは自分には向いていないんだ」と、さっさとあきらめてしまっていたかもしれません。
あるいは、ちょこっとやって、たまたま上手く出来たら、「あぁ、これってこんなもんなんだ」と分かったつもりになってしまったり、「何だ、自分、うまいじゃん」なんて勘違い&勝手に自惚れてしまったりして、そこから先には進めなかったかもしれません。


一歩一歩確かめながら。
辿り着けた、ひとつの結果。
でもそこは、まだ途上で。
だからまた、この先へ。
どれほど時間を費やそうとも、確かめながら。


自分は、あくまでもそうした人間なので・・・、正直、「器用」という言葉は、嫌いです。
同じような意味で言えば、「才能」と言う言葉も、(確かにあるかもしれませんが、そういった言葉でまとめてしまうのは)嫌い。
そういう言葉でさらっとまとめてしまうと、その人のそれまでの努力を無視してしまうようで、失礼なような気がして・・・。

もしも仮に、いくら「器用」であっても、「才能」があったとしても、それをより良く伸ばす努力をしなければ、宝の持ち腐れだと思いますし、自分で「不器用」だと思っていたり、「才能がない」と思っていても、大概のことはやればそこそこできるようになるものなんじゃないでしょうか。(少なくとも、私ができたくらいですから。)


そんなことを突き詰めていくと、簡単に「できる」「できない」と言ってしまう事も、好きじゃなくて。
「やるのか、やらないのか。」
そんな風に考える方が、私には好ましく思えます。

その時、失敗しても。そこで「才能」などという問題を持ち出すよりは、まだまだ努力できる余地があるな、と思うことの方が、どちらかというと必要以上にへこむこともありませんし、何より、先に進もうと思えます。

今、「できない」と思ってしまう事も。
今までに、それが「できるように」という努力を、自分が人並み以上にはしてこなかったから。
そんな風に思った方が、いいんじゃないかと。


始めから、「才能」が、なんて考えてしまうと、やる前からあきらめてしまったり・・・しませんか?
そうすると、やれば本来辿り着けるはずのところにさえ、辿り着けない。
人にはそれぞれの捉え方や考え方があるから、一概には言い切れませんが、少なくとも、自分が好きなこと、やりたいと思うことなら・・・、とことんやれるだけやってみた方が、きっといいのでしょうね。


誰かと同じように、誰かのように、なんてがちがちに思い込まなくても、比較しなくても。
だって、どんなに頑張っても、「誰か」にはなれないじゃないですか。

「私」はどこまでいっても「私」でしかありえないように、「あなた」「あなた」

それぞれが好きなこと、やりたいことの方向が少しずつ違っているからこそ、人って面白いな、と思います。
それぞれがそれぞれに、自分らしさを引き出せるように、自分らしく生きられるように、ベストを尽くせれば、いいですね。


それが、一番、「あなた」らしくて、素敵です。



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そう言えば、「できる」「できない」について、昔にも、こんなことを書いていました。

⇒ 〔為さねばならぬ事〕 ('01/12/12)

文面は、結構生意気ですが・・・、今も昔も、あんまり変わっていないような気がします(笑)。


※'05/10/25追記
このブログでも、「できる」「できない」に関して、記事を書いていたのをすっかり忘れてしまっていました。若干記憶違いはありましたが、追記訂正し、合わせてご紹介させて頂きます。


⇒ 〔「できない理由を探すな」〕 ('05/7/4)

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明日館での卒業制作展まで、あと103日!
ちなみに、学内の卒展最終審査まで、あと52日!!

頑張っている人が、好きです。

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posted by Metal_NEKO at 10:38| Comment(4) | TrackBack(0) | Metal -NEKO- Works | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
不器用だからこそ、身にしみます。僕は人に『器用だね』と言われます。そつなくある程度はこなしてしまいます。ただ生き方や人間関係は不器用ですが(笑)ただある程度と言うのがダメダメです。つい自分が出来そうかなと思う所に目標を置いてしまいます。そんな自分が嫌で物作りの世界に足を入れたのかもしれません。先生の作品を見る機会があり、人間技とは思えない物でした。隙がない。先生は良く『手で作る意味を考えなさい、手でしか出来ないもの、機械で作った物にはない暖かさや趣があるもの』いいます。先生は伝統工芸師には珍しく、鍛金、彫金、鋳金、板金とあらゆうジャンルが出来る人です。前『俺も、一つの事だけやっていれば、もっと凄いものを作れたのに(笑)でも気が多すぎてな、あんたと一緒や(笑)』ほんの数ヶ月で見られてるな〜と思いました。余りに大きな山のような目標があるから、目の前にいる人が作ったんだから、1歩でも近づきたい。課題の他に何かいつも違う物を作っています。とにかく何か作らないと、落ち着かない。先生には『また中途半端なもの作ってるな!でも中途半端もん作らないと、いい仕事はできない。でも完成はさせろ。』言われます。先生の言葉は金言です。60年以上物作りをしてきた人の経験だから。今回はウチの先生の言葉ばかりで、僕の意見は無いですね。でも物を作ろうとするなら共通な気がします。もし良ければ、先生の工房の『竹影堂』のHPを見てください。もう息子さんが継いでいますが。作品という所の球状の銀の香炉と銀の急須は先生が作ったものです。
Posted by のりちん at 2005年10月23日 14:35
のりちんさん、どうもです。
物を作ると、やっぱりそこにその人らしさが出てくるような気がします。その道の熟練した職人さんなら、きっと物を見ただけでも、どんな人がどんな思いで作ったのか、分かってしまうんでしょうね。

手で作る事の意味。私もずっと考えています。
手で作られた物は、何よりも、人を人らしく感じることが出来るように思います。

ふと思ったんですけれどね。
ちょうどこの記事で紹介した過去の記事。今、改めて読み返すと、かなり自分は刺々しかったな、と思います。あの記事を書いた頃は、工場で設備での大量生産に携わっていました。
今は、自分で言うのもなんですが(これでも)、当時に比べれば、ずいぶん角が取れてきたんじゃないかと・・・。
それも、手で作る事を始めた事と、決して無縁ではないように思います。

完成させる事、とても大切なことだと、私も思います。
途中だと、結構よく見えてしまったりもしますし。
完成させて、初めて分かることがある。
完成させる事で、今の自分に足りないところが何なのか、すごくよく分かりますね。

のりちんさんの先生のHP、拝見させて頂きますね。
ありがとうございます。
Posted by Metal NEKO at 2005年10月23日 22:16
なぜ物を作るか、色んな事を言いましたが、一番は自分が気持ちいいからです。相手のことことも考えるけど、でも気持ち良い。僕は環境分析の仕事をしていました。簡単に言うと毒物の濃度を測定していました。サンプルが違えばやり方も変わる、じっくり一人で出来るような部署ならよかったたんですが....。数が一番の会社だったんで、質よりも量、それも粗悪でもいいと暗に言われるとプライドはズタズタです。話が逸れましたね。
 先生も作業する時は鼻歌混じり、やっぱ気持ち良い。僕はヤスリと金槌使っている時が気持ち良いです。糸のこぎりは嫌い。水研ぎも(笑)ただ自分が気持ちいいだけでは、マスターベーションです。それで生きていく為には相手はいるし、納期もある。先生も『趣味でやってたら気持ち良いね、でもそれで飯食おうとするとしんどい、でもいま学校来てるのは楽しいからや』とね。日々の生活を気にせず物を作れたら気持ち良いだけですね。なんかウチの先生と話すと、全て手のひらで転がされている感じ。孫悟空と同じやね。ウチの先生の作品みたら感想聞きたいわ、あなたがやっている事とは違うけど凄いのは変わりないと思うし。
Posted by のりちん at 2005年10月24日 18:50
のりちんさんの先生の作品、『竹影堂』のサイト見ましたよ!
いや〜・・・。
すごいお仕事をされてますね。
いろんな意味で、まさに、伝統工芸の世界だなぁと感じました。

いわゆる鍛金の作品を拝見するたびに、自分の目指すべき方向は、といったことを考えてしまいます。
同じ金属を使っているけれど、手法も目指すところも、確かにかなり違うような・・・。
正直、近そうに見えて、でもだからこそ、一番遠い存在のようにも感じてしまいます。

難しいですけれどね。
ある意味、家出した放蕩息子のような心境に近いものがあるのかもしれません(笑)。

私も、最初の頃は、何より自分の手で作れる事自体が、楽しくて仕方ありませんでした。
でも、実際に使ってくれる人がいて、その人のために作ることの方が、もっともっと面白く、やりがいも感じられて・・・。
だから、私にとっては、これは趣味にはならないだろうなぁ、と思ったりもするんですよ。


Posted by Metal NEKO at 2005年10月25日 00:00
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