2005年10月15日

私が私であるように

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金属の可能性、というようなことを、最近よく考えます。
金属で何を表現すべきか、というようなことも、よく考えたりします。


いえ、今、卒業制作がらみで、サインプレートの文字を切り抜いたり加工したり、試作を繰り返しているんですけれどね。
いろいろ書体(デザイン)を考えて、鉄板を溶断したりしているんですが・・・。
何か違うような気が、やればやるほどしてきてしまうんです。
う〜ん、何て言うのか・・・、「それって、鉄でやる意味あるんだろうか?」と言ったような・・・。


この間の記事へのコメントで、鉄は比較的自由な素材だ、と書きました。
ほんと、素材感だとか重量だとか気にしなければ、大概のことはできてしまいます。(もちろん、やろうと思えば、かつ、やれるだけの技量があれば、の話ですが。そして、それをいいと思ってくれる人がいれば、という大前提も忘れてはならないことですが。)
小物から、家具、建築装飾、建築構造体などなど、様々なものが視野に入ってきます。

いろんなものが目に入ってきやすいからこそ、鉄の可能性ということを、もっともっと考える必要があるんじゃないかと。

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2005年10月12日

つまみと留め金も作ってみる

前回、蝶番を作った続きで、昨日は留め金付きのつまみを取り付けました。

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開くと、何だかちょっと楽しげな感じ。

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つまみは、丸棒を叩いて制作。
内側の留め金部分は、叩いて加工しています。こちらは、完成すれば見えなくなってしまうんですけれどね。でも、「見えないから、〜」って考えてしまうのって、何だか気分が悪いので・・・。

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posted by Metal_NEKO at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | Metal -NEKO- Works | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月09日

蝶番を作る

昨日の作業から。

以前、〔シンプル極まりない答え〕('05/9/19)で、ちらっと画像をご紹介しましたが、今、卒業制作とは別件で、制作しているものがあります。

その中に、扉の仕様があるのですが、ここに使う蝶番(ちょうつがい)
最初は、市販の熔接可能な蝶番を使うつもりだったのですが、やっぱり自分で作る事にしました。

というのも・・・。

実は、こちらは、依頼を受けて制作しているもの。
で、いろいろと打ち合わせしていけばいくほど、依頼された方が「手作り感」を、かなり重視されていることを感じます。
「思いが伝わってくる」と言われたら・・・もう喜んで頑張っちゃいますよ!


というわけで、蝶番も手作りで挑戦!(←実は、ちゃんとした蝶番を自分で作るのって、初めてなんです。)
まずは、各パーツを用意して・・・。

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このパーツに丸棒を通し、両側をカシメる(頭の部分だけ熱して叩いて、釘の頭のように平たくする)方法で作ります。

このくらいパーツが小さくなってくると、グラインダーをかけるのも、ちょっと一苦労。
油断すると、すぐにパーツが遥か彼方に吹っ飛んでいってしまいます
今回も、2回ほど吹っ飛ばしてしまいました・・・。
前が砂利なので、どこかに吹っ飛んでいってしまうと、小さなパーツは見つけづらくなってしまうので・・・、かなり焦ります。

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で、カシメた蝶番の出来上がり。
カシメる具合が強すぎると、パーツが固くて動かなくなってしまいますし、緩すぎても取り付けたときに各パーツががたがたになってしまいます。このあたりは、ちょっと微妙な感覚。

蝶番ができたら、いよいよ、本体と扉へ取り付け・・・。

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2005年09月19日

シンプル極まりない答え

ずっと考え続けてきた事。
このブログでも、何度も何度も考えながら書いてきたこと。

結局のところ、「何で手で作るの?」ということ。

そのたびに、「手作りの意義」だとか、色々な事を書いてきた。
作り手にとっても、使い手にとっても楽しさや嬉しさ、喜びがある物作り、だとか。
素材の表情だとか。素材の記憶が感じられるようだとか。
そこに込める思いだとか。そこに、人の気配が感じられるからだとか。

いろいろと考える事も、言葉を重ねる事も嫌いじゃないけれど。
何だかすごく遠回りをしているみたいで、もっと根源的なところを一言でうまく言えないことに、少しもどかしさも感じていた。

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ひたすら、ハンマーで叩いて、形作っていくもの。
これも、たぶん、角の丸みのところ、太いパイプを4分割して熔接したら、楽だしシャープにできるかもしれない。
でも、それは、自分がやらなくてもいいんじゃないかと思う。


3年間、ひたすらハンマーを振るって形を作っていたら。


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2005年08月27日

この夏、一番「熱い」日。 〜工房体験のアルバイト〜

昨日は、台風一過、ということで、どんな晴れ渡った空かな?と期待してみたら・・・結構曇り空でしたね〜。
それでも雲間からの日差しは強く、夕方頃には、空と雲と、光と。
そんな画像を織り交ぜつつ、ちょっと一昨日昨日(木・金曜日)の話を。
(というわけで、今回画像と本文は、あんまり関係ありません。)

050826-03-s.jpg

いや〜、昨日は「熱い」一日でした。
秋空かと思ったら、意外にまだまだ夏の名残のようだったこともありますが、それでも吹き抜ける風は、秋の風を予感させるものでした。

それでは、何がそんなに「熱かった」のか?
と言えば。


一昨日、昨日は、学校に高校の美術の先生方が大勢見えられ、各工房で制作体験を行なうイベント(?)があったんです。
で、私は金属工房のサポートアルバイトをしていました。

今までに、主に高校生から一般の方対象の工房体験のサポートバイトは何度かやってきたんですが・・・。
(そういえば、今週頭にもやりましたっけ。:「アイドリング・デイズ('05/8/23)」
何だかそれとは、今回は大変さも疲労感も桁違い。



一昨日は、燭台のようなものを制作。体験の方、4名くらい。
で、昨日は、看板(ネームプレート)制作!こちらは、7名くらいに増えていましたでしょうか。

普段の体験の時は、「木と金属のスプーン作り」で、スプーンの大きさや形、木の柄の大きさやデザインなどは、選べたり自由、とはいえ、ほとんど作業内容的には全員一緒なんですよね。だから、みんなにまとめて説明したり、ある程度一緒に作業を進めたり、ということができるのですが・・・。

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2005年06月24日

「キレイ」なもの。

050623-01-s
今日は、工房の校外授業のような感じで、熔接器を始めとした各種金属加工機器の展示会へ行ってきました。

最新型の熔接器を実際に試してみては、その精度や熔接痕の「キレイ」さやスパッター(熔接時に飛び散る鉄の玉)の少なさに驚いたり。
自動的に円をカットできるガス熔断器にも驚き。その切り口のあまりの「キレイ」さに、びっくり。
「あ〜、こんな機械、欲しいな〜」と思いつつも、そしてまた、最新機器のお値段の方にも、びっくり




でも、ふと思ってしまいました。
果たして、これから目指すべき工芸作品に、そんな「キレイ」さは、本当に必要なのか?本当に意味のあることなのか?と・・・。


※ちなみに、本文と画像は、あんまり関係ありません。


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2005年06月22日

約束

Metal 05-05-47-s刻み込まれた摂理に従いながら
光を求めて高みを目指す 植物達のように

心は 自由を追い求めながら
理性は なおも規律を渇望する  

その狭間が 生きることの証のように
命あるものらしくて 好ましい

どんなに自由を 望もうとも
自分に課した ルールだけは
決して破られることはない

それが
私と他者とを結んでくれる
約束なのだから






「今の自分のすべてを込める(05/06/07)」で、制作途中だった作品(燭台)が、ようやくほぼ完成。あれから、また、かなり悩みに悩みましたが、あとは仕上げを施すのみとなりました。


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2005年06月13日

ガラス工房で、夏。

月曜日。この日に私が受講している講義は、美術史のひとコマだけなので、後は思う存分、金属工房で自主制作・・・のつもりだったのですが。本来ならば。

私、最近、月曜日と言えば、学校のガラス工房に入り浸っています。

なぜかと言えば。


バイトを頼まれてしまいまして。ガラス工房の天井から、ステンレス版を吊り下げる作業。
・・・それって、何?・・・と、思われる方も、多々いらっしゃると思いますが・・・。


ガラスの工房で作業をされている方は、よくご存知でしょうが、ガラスの窯の近くって、ものすごく暑いですよね。窯の中で、ガラスが融けている訳ですから。それに加えて、ガラスの窯は、一度点火したら、よほどの事がないかぎり、窯の火を消す事はないそうです。
(実際には、いろいろあるみたいですけれど、すみません、門外漢なものですので、相当にアバウトな記述になってしまっています。御容赦下さい。)
なので、ガラス工房は、年がら年中、とても暑い(熱い)工房です。

学校のガラス工房、もともと部屋の構造が、ガラス工房のためにと考えられて作られたわけではないらしいので、耐熱やら断熱やら熱を逃がすような構造にはなっていなくて。窯から少し離れた場所でも、工房内じゅうに熱が蔓延してしまうそうです。

暖かい空気は、上の方へ昇っていきますよね。窯の熱気は、いったん天井付近へ溜まっていき、そこから周囲へ拡散していくわけです。
だから、窯の近くとその他の場所の境目辺りの天井付近に、空気の流れを遮断する板を設置し、その中に溜まる熱気を、今までよりもさらに大型の換気扇で強制排気しようと。そういうことらしいです。


で、今回のバイト。空気を遮断する板を設置する、という作業を、なぜか私がやることに

050613-04-s続きを読む
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2005年06月11日

「自由」と「束縛」 (「自分」を超えよう その2)

私は、「金属バカ」なんじゃないかと思うくらい、金属どっぷりなので、私自身が実感を持って感じる限りということで、今回も書き進めてはおりますが。きっと、どんな工芸の世界でも、どんな分野でも業種でも、多かれ少なかれ同じような事が言えるのではないかと思います。
で、金属の場合。(とは言っても、金属の中でも、さらにごくごく一部の話ではありますが。)


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金属という素材。その素材感や表情、加工などのイメージが、固定化されてしまいがちなように感じます。けれども、実は、恐ろしいほどに自由な素材である、ということを、私自身も、鍛造という技法に触れてから知りました。

用途にしても、雑貨のような小物から、インテリア、エクステリア、建物そのものに関わるような構造から、橋や乗り物にさえなってしまう。
とりあえず、この形にしておけばオッケー的な、基本となる「定番」のような形も用途も、あるようでそんなにない。

造形上でも、表面に浮かび上がる表情や、加工方法、それによって浮かび上がる形。それらも、自由きわまりない。
私の教わっている先生のさらに師匠にあたる方は、「金属は、素材の持つ制約を最も受けにくい素材」とおっしゃっていました。

050609-06-s050609-12-s







もちろん、金属(鍛造)の場合でも、いわゆる「定番」的な表現や加工方法も、あるにはあるんですけれどね。例えば、日本やヨーロッパなどの伝統的な技法や、それらによって出来る形。
一般的に馴染み深く、比較的目にしやすいいものと言えば、やっぱりヨーロッパの街並みに古くからあるような門扉や柵、面格子などに見られるものでしょうか。くるくる渦を巻くような唐草模様(?)状のものや、植物モチーフの文様、いわゆる「タマネギ」と言われるような飾りであったり。ロートアイアン、と呼ばれる世界。(例えばこちら⇒「日本インディア販売」のサイト)

ただ、私が今学んでいる工房では、あまりそうした技法的なことには捕らわれずに、基本的に『やりたいことや(新しい)表現は、自分で探して自分で見つけなさい』といった方針なので、なおさら「自由極まりない」と感じるのかもしれません。
前述の、先生の師匠の作品は、同じ「鍛造」という技法でありながら、いわゆるロートアイアンの世界とは、似て非なるもの。何と言うか、凄いです。わびさびのような和の心を感じさせ、どこかアジアン的なものにも通じながら、生き生きとした生命感や躍動感に満ちあふれているもの。
「極める」という言葉がありますが、まさにこういうことを指すのではないか、と思ってしまいます。シンプルでありながら、これ以外にはありえないのでは、と見る人に思わせてしまうような、洗練されたデザイン。ただひたすらに格好良く、美しい
「松岡信夫+アインズ」のサイトで、いくつか作品も紹介されていますが、ごく一部しか載っていないですし、画像だけでは分かりにくいかもしれません・・・。)
多分、この方の作品を知っている方は、私の作品が、この方の影響をもろに受けてしまっている事が一目瞭然なのでは・・・と思います。

前回(その1)の方で、「頭の中だけで思いつくのは、すでにどこかで知っているモノ。どこかで見たことのある世界。」と書きましたが、例えば金属の場合(というよりも、私の場合)、ヨーロッパの伝統的ロートアイアンや、松岡先生の世界が、「すでにこの世に存在している世界」。(もちろん、他の作家さんの作品も、多々ありますが。)「極める」という意味では、長い歴史の中で熟成され、形作られてきた伝統あるロートアイアンの世界も、ひとつの極められた形ですし、一方、松岡先生の作品も、用途や機能、素材の可能性を新たに追求した先に行き着く、極められた形のように思います。(実際に自分で何かを考え、作ってみようとした時に、松岡先生は本当に凄い方だ、ということを痛感してしまいます。)


私は、松岡先生の前述の言葉に惹かれ、その作品自体に魅了され、金属の持つ、その限りない造形上の自由さに憧れ、この道に足を踏み入れてしまいました。そして、実際に足を踏み入れてみれば、そこにはやはり、「自由」な面と「束縛」される面、その両方があり、互いにせめぎ合う両者に翻弄されることとなってしまいました。

金属の自由さは、まるで、あれ、です。その自由さに惚れて付き合い出したら、奔放なまでに自由すぎて、途方に暮れてしまうような感じ。(←って、またなに書いてんでしょう。まぁ、前回にひきつづきってことで、もう、いいです。例えば、の話なので、あんまり深読みしないで頂ければ、これ幸いかと。)
そんな自由奔放な金属を相手にしようとしたら、頭で考えるだけでは、答えなど出てくるはずもなく。
前回も書いたとおり、どうやったら、どんな表情になるのか。どう加工したら、どんな形になるのか。実際にやってみなければ分からない事、体で覚えなければ身につかない技術、自分自身で見つけていかなければならない、新しい表現、新しい加工方法。
限りなく自由である金属の、表現の可能性を探るためには、何よりも自分の手で探し、試し、考える必要がある、という事。

115659-s例えば、前回最初に載せたこの画像。
これ、以前まったく別の加工に悪戦苦闘していた際に、偶然出来ていた形です。

すっごくいいなぁと思うんですよ、個人的に。
この形、この表情。
いずれ何かに使えないかなぁと思って、ひねくりまわしながら考えているんですけどね。

(それから、今回載せているその他の画像は、さまざまな加工方法、表現方法を、自分で考え、実験してみるという昨年度の課題の時のものです。)



こういう形自体や、どうやったらこの形になるのか、ということは、それこそ今まで知ってる範囲の頭で考えたところで、なかなか出てきはしないんですよね。形を先に見ていたら、コロンブスの卵のようなもので、こうやれば簡単に出来るじゃん、というようなものでも、まだ形になっていないものを、いきなり頭で考えようとしたって、相当難しいものだと私は感じています。

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そして、以前、コメントにも書いたのですが、一方では、すでにあるものに多大な影響を受け、その影響から逃れようとしても逃れられないジレンマがあります。いくら想い描いても、すでにある世界の呪縛から解き放たれる事がないような。まるで現実の世界そのままに、自由と束縛の狭間で揺れ動く自分がいます。束縛があるからこそ、自由を求めつつ、けれども決して、束縛から逃れる事は出来ない。自由であることの前提としての束縛。いくら断ち切ろうとしても、決して途切れる事のない、密接に関わりあう両者。


すでにある世界の中での、自分の存在や立っている場所を確かめながら。
すでにある世界に、敬意を払いつつ、その先に、新しい世界がないかと探し求め。

自分が自分であるためには、今の自分を超えなければならない。

そう、最近特に強く思うようになりました。


自分が何をしようが、自由だとは、歳を重ねてくるうちに、さすがにもう思わなくなりましたが。
暖かな「束縛」があってこそ、今の自分がいる。それを大切にしながら、けれどもその先に、ほんの少しだけの「自由」を探し求める。
その自由さをひとつ知り、またひとつ確かめていくのには、おそらく一生かかることでしょう。
けれども、そこには、一生を費やすだけの価値がある。
私は、そう思います。


始めに何を作るのか明確にして、そのとおりにつくれるように、能力や技術を高める事も大切。
まだ見た事もないような、新しい表現の可能性を求めて、日々試行錯誤や実験を繰り返す事も大切。


結局は、両者のバランスをいかに上手く取っていくか、ということなのだと思います。
振り子のように行きつ戻りつ、そしてらせんを描いて上昇していくように。



今、自分の周りを見て、感じる事。そして、自分自身にも言い聞かせる事。

最初から完璧である事を、求める必要はない。もとより、完璧であるものなど、ないのだから。
若ければ若いほど、完璧ではないことを恐れ、何もかも完璧である事を求めてしまうのかもしれませんが・・・。
かつての私の友人にもいました。「『完璧主義者』すぎて、何も出来ない(しない)」、という人が。(今、彼はどうしているのでしょう・・・。音信不通になってしまい、誰も消息を知らないらしいのですが・・・。)

私は、声を大にして言いたい。
「とにかく、やってみたらいいじゃん」、と。


今は完璧でなくてもいい。ただ、今の己の最善を尽くせればいい。
それがどんな結果であっても、今の自分の姿、最善を尽くした上での結果なのだと、納得すればいい。その結果(現状)に、安易に満足してはいけないが。
たくさんの失敗をし、上手くいったところを見つけ、両者から学び、次に繋げていければいい


次へ、その先へ。


自分を、超えていこう。




いつもありがとうございます。感謝の気持ちを込めて。



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2005年06月07日

今の自分のすべてを込める

そう、あれは先週の後半にさしかかった頃。放課後の自主制作で、私はちょっと行き詰まっていました。
それは、注文を頂いた品。そして、私が今までに手がけたことのないジャンル(作風)。
途中までは、それでも順調に進んでいたのですが、終盤に近づいた肝心かなめのパーツをどう作ったらいいのか。
そのパーツには、いくつもの小さな球体(もしくは球のイメージ)が必要でした。
1回目に試作した方法では、目も当てられぬほどの完敗
ならば、どうする・・・?

ん〜・・・。やっぱり、本気で玉を作るしかないか・・・。

鍛造で、球体。始めから頭の片隅では考えていたものの、1回目の試作時には、別の方法を選んでいました。
それは、なぜかと言えば。
難しいうえに、恐ろしく手間がかかるから。

鍛造で(ある程度の大きさならともかく)小さな玉を作ろうなどとは、普通あんまり考えない(やらない)のではないかと思います。
「仕事」として製作されている方なら、なおのこと。
聞いた話では、すでに球体として加工されている材料を買ってきて使うとか。パチンコ玉を使うとか(←ほんとはいけないらしいですね)。あるいは、やっても研磨して球体にするとか。

でも、と思ってしまったわけです。仮にも鍛造を志すものが、ここまできて妥協してしまっていいのか。今だからこそ、何もかも度外視して、all鍛造で作りこむべきなんじゃないか。
何だかもう、作り手のエゴみたいな、変なこだわりにもなってきたような気がしますが、実際のところ、自分がどこまでできるのか、試してみたくなった気持ちもあり、一度はやってみるべきだとも思ったので、挑戦してみることにしました。


教えてもらった基本的な玉の作り方は、丸棒や角棒の先端をくびれさせて、その先を丸くしていく、というものなんですけどね。
まぁ、最初はその方法で試してみたんですが。
・・・難しいじゃん。

というかですね、全然効率的じゃないんじゃないかと思ってしまいまして。
で、方針変更。
丸棒や角棒を、立方体に近い形に切って、その角を叩いて丸めていくことにしました。

Metal 05-05-36-sこの画像で、一番大きな玉が、最初に試作したもので、この時は22〜25ミリ角くらいの角棒を使いました。
その次が、16〜19ミリくらいの角棒や丸棒。
さすがに、どう丸めていくのか、コツを掴むまでに時間がかかってしまったんですが、それでもこのくらいまでの大きさなら、比較的作りやすかったんですけどね。
でも、前述の作品に使用するパーツとしては・・・大きすぎるということに気がつきまして。さらに小さな、9ミリ角の角棒で作ることにしました。

(上の画像で、右下の方に転がっている立方体が、叩く前の9ミリ角の材料です。)

これは、正直、最初は無謀だと思いました。コークス(石炭)で熱していると、コークスのすき間にだんだん落ち込んでいって、どこへ行ったのか分からなくなるし、小さすぎて、火箸やプライヤーで掴んだら、ハンマーで叩けないし。すぐどこかに転がっていってしまいますし。
悪戦苦闘しつつハンマーを振りつづけ。でも。やればできるものなんですね。お勧めはしませんけれど。

Metal 05-05-25-sMetal 05-05-28-s









大きさ的には、このくらい。自分でも、意味が分かりません。でも。

Metal 05-05-27-s

そうそう、これ、この表情、なんですよ〜。私が求めていたものは。(←やっぱりフェチ?)









いや、しかし。大切なのは、「小さな玉を作ること」でも「技術」でもありません。何のためにそれが必要なのか。それを使って、何を作るのか。
で、これが何になったのかと言えば。

Metal 05-05-31-sMetal 05-05-34-s












こういうものに。


う〜ん、どうなんでしょう、やっぱり、「そこまで手間をかける意味が分からない」と思われる方、結構いらっしゃるかもしれませんね・・・。

それに、今までの私の作品をご覧下さった方は、「え?」と思われるかもしれませんね。
私自身、こういった、ある意味「具象的」な作品を制作したのは、初めてです。
今までに作ったことのないジャンル(?)のものだったので、自分にできるだろうか・・・、と少し不安要素もあったのですが、自分の幅を広げるためにも、挑戦してみようと思ったこと。

そう、今回の制作は、今の自分の持てるすべてを込めて、どこまで作りこむことが出来るか、という、自分自身への挑戦でもあると思います。(決して、今まで作ってきたものは、いいかげんだった、という意味ではありませんが・・・。でも、やはり、多かれ少なかれ、何らかの制約のある中での制作ではありました。今回は、そういう制約をまったく無しにする、という意味です。)

そして、どこまで手間がかかろうとも、何もかも度外視してでも、今の自分のすべてを込めようと、そこまで自分を駆り立ててくれたのは、何よりも、私のような者を信頼して下さり、作者冥利に尽きるような条件で任せて下さった、ご依頼主のおかげなのだと思います。


大げさかもしれませんけれどね(いつものことかもしれませんが)。でも、この作品、自分にとっても、とても思い入れの強い作品になると思います。小さな作品とは言えども、今まで(2年と少しですが)学んできた事の、ひとつの到達点やターニング・ポイントとなるような作品に、きっとなるんじゃないかと思います。いや、してみせる、との意気込みで、作っています。
どこまでいけるのか、自分でも楽しみです。
そんな作品を作れる機会(ご注文を頂けたこと)に、感謝しつつ・・・。




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2005年05月26日

自分の体は自分で守る

え〜っとですね。

服が燃えました。



・・・。
金属工房には、プラズマ溶断器という機械がありまして。簡単に言うと、電力を使用して金属を熔かし、熔かした金属をコンプレッサーのエアーで吹き飛ばして、材料を切断(熔断)する、というものです。まぁ、薄い鉄板のたぐいなら、だいたいこれを使って熔断します。まぁ、要は、熔けた金属があたりに飛び散るわけです。もちろん、きちんとした使い方で注意して作業すれば、問題ないんですけどね。

ちょっと細かい加工をしてまして、で、結構間近に寄ってしまっていたんですね、知らず知らずのうちに、じりじりと。で、何となくすねの辺りが、いつもより温かいなぁ・・・とは思ってたんですけど、熔断する方に集中してしまってまして。

あったかい?・・・いや、熱いんじゃね〜?・・・って言うか、何か焦げ臭くない?

って、おい〜!、燃えてるじゃ〜ん!

・・・で、ズボンの裾に、こんな穴が開きました。
050524-02-s










すいません、お見苦しい画像をお見せしてしまいまして。

あ〜。遂にやっちゃったか。いや、結構他の人の話では、よく聞いていたんですよ。金属加工の場合、何やるにしても、大概熔けた金属が飛んでいくわけですから。グラインダーで磨いてたら、ズボンに火がついたとか。熔断のときとか。熔接の時も、スパッターという熔けた鉄の小さな球が飛び散るので、作業着はだいたいみんな穴だらけ

金属加工に限らず、他の工房でも、もっと一般的な工場などでも、何かモノを作る現場というのは、危険がいっぱい。はさまれ、まきこまれ、切断火傷に打ち身に擦り傷。私が以前に勤めていた工場は、全長が100mくらいある大きな設備が、ぐあんぐあん稼動しているようなところで、回転体や駆動部へのはさまれ、まきこまれといったような労働災害発生の報告が、他工場や他社からもよく届いていました。
現場の方でも、「昔はさまれちゃってよぅ、お前も気ぃつけろよぉ」なんて言いながら、失われた指先を見せてくださった方もいましたし、組合の研修でお会いした他社の方(まだ若い方でした)は、通常隙間が数oの巨大な回転体の中に腕を肩まで巻き込まれてしまい、瀕死の重傷だったと、その腕を見せながらおっしゃっていました。
(※誤解のないよう、書いておきますが、そうした方々が、怪我の跡を見せて過去の事故の話をして下さったのは、決して見せびらかしたりひけらかしたりするものではなく、自ら非常な痛みを伴った辛い経験から、他の人にも、二度と同様の災害を起こして欲しくない、という気持ちからでした。)


余談ですが、以前にも書いたイページオペレーションという演習の中で、今週のお題は、「醜い手」というものでした(前回のお題は、「美しい手」)。その中で、悩みに悩み、結局最後まで書けなかった学生が一人いたのですが、その悩んだ理由が、とても興味深いものでした。
彼女いわく、「始めは、火傷を負った手や、傷や皺だらけの手かな、と思ったのだが、良く考えれば、それは決して『醜い』とは言えない。むしろ、外見にばかり気を使って、重いものは箸しか持たない、というような手、全部人任せで、自分は何もしない(手を汚さない)というような人(例えば、マリー・アントワネットのような人?)の手が、醜い手なのでは」、と。そして、そんな手を想像しながら書こうとしたけれど、時間オーバーになってしまったようです。う〜ん、まぁ確かに、そういう見方もあるかなぁ、と。


それはともかく。物作り(製造)の現場においては、常に危険と隣り合わせ。私が工場勤めの頃、「危険予知」や「指差呼称」、「自分の体は自分で守る」、などといった、安全に関するキーワード(標語)がありました。企業などの工場に勤められた方なら、ご存知かもしれませんね。
危険だから、と何も触らなければ、何も作れません。どこにどんな危険が潜んでいるのか、しっかりと把握しておく事。何か作業をする際には、どんな危険(事故)が起こりうるか、予測した上でそれらに充分注意を払う事。「指差呼称」、私もやってました。「右よし、左よし」と指差しなが確認する、あれです。工場内でヘルメットかぶって、「〜スイッチ(OFF)、よし」とか確認してから、機械の中に入るとか。始めは恥ずかしかったりするんですけどね。でも結局、最後は「自分の体は自分で守る」、それに尽きるんじゃないかと。たった4年しか工場にはいませんでしたが、意外と癖になっていて、今でも結構意識しないのに、指差呼称してたりします。(←知らない人には、怪訝な顔をされます。)

製造現場で起こる事故の大半は、慣れやちょっとした不注意からくるもの、だと言います。災害にあうのも、新入社員はまだ緊張感があるので少なく、仕事に慣れてきた入社数年後の社員や、中堅社員で多いとの統計結果もあります。工場の安全標語の中に、「トラブル時には、必ず機械を止めて処理する」というのもありましたが、やっぱり慣れてくると、効率優先で、機械を運転したまま処理してしまったりしがちですよね。はさまれやまきこまれの大半は、そうした原因から発生するものだそうです。

何だか工場の頃の話が長くなってしまいましたが、企業だったら、災害発生時に、会社の安全管理の問題が、などということも含まれてきますが、例えば工芸作家のように、ほぼ個人か数人くらいのグループでの作業ともなれば、ほぼ全責任が、自分自身にかかってくるのでしょうね。
その作業をする上で、何が危険なのかを予知し、「自分の体は自分で守る」。金属加工を学んで、3年目。危険な道具に囲まれながら、少し慣れを感じてきてしまっているのかもしれません。
私が勤めていた頃、現状はどうであれ、「1に安全、2に品質、生産性は3番目」と口がすっぱくなるほど言われていました。たぶん、どの企業、どの業種でもそうだと思います。今、自分の身に照らし合わせて。やっぱり変わらないな、と思います。それがお題目だけには、決してならないように・・・。


物作りに携わる方(そうでない方も)、今日も一日お疲れ様でした。また明日から、安全第一で、張り切ってまいりましょう。



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2005年05月20日

Welcome to "The Metal Studio".

今日は、授業が終わってから、金属工房に新しく入ってきた新入生の歓迎会を行うことになりました。

実は、金属工房って、マイナーというか、あんまり人気ないんですよね。
うちの学校には、木工房、ガラス工房、陶磁工房、ステンドグラス工房、金属工房、絵画壁画工房と、全部で6つの工房があります。ダントツ人気は、やっぱり木工かガラスか、というところで、金属工房は、下から数えた方が早い

金属工芸、というと、大概の方は、アクセサリーなどの彫金や、この間も書いた鍛金、あるいはブロンズ像などの鋳造を思い浮かべるのでは・・・。うちの工房は、それに一つもかすりもせず、鍛造(いわゆるロートアイアン)ですから。よく言えば、「いぶし銀」。悪く言えば「地味〜」な、どちらにしても通好みな事をやっています。
おまけに加えて、金属工房は、いわゆる3K。前述の6工房、学生の間では、ひそかに「おしゃれ工房」と「汚れ工房」に大別されてたりしますが、金属工房は、「汚れ工房」の中でも1、2位を争う「きつい、きたない、くさい、おまけにうるさい」工房だったりします。

金属工房には、ジンクスがあって・・・。「新入生は2人入るけれど、2年になる頃には、1人は別の工房に移ってしまう」。今のところ、このジンクス、3年連続で続いています。さて、気になる今年は・・・というと、・・・新しく入ってきた1年生、2人です。これはやばい。
ここはひとつ、新入生歓迎会で楽しんでもらって、途中でやめちゃわないよう、引き止めておかないと。



金属工房、めっちゃ楽しいよ大作戦、展開中。

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2005年05月16日

記憶の森を彷徨いながら。

昨日書いた「素材の記憶、『もの』の記憶」とも関連のある内容となりますが、「住む。(発行:泰文館)」という季刊雑誌の今春号に、「生まれる前の形 消えていく形」という記事がありました。この中で紹介されているのは、鍛金師の長谷川竹次郎さん

のっけからちょっと話がそれますが、鍛金、といってすぐに思いつくのは、銀や銅、錫や鉄などの金属の板を丹念に叩いて器などを作っていくもの。「打ち出し」とか「絞る」という言葉が浮かんできます。ぐい呑みやお皿、徳利・・・。銅のナベやフライパン、ヤカンや急須まで作ってしまいます。私が見た技法の本では、精巧な動物の置物まで、一枚の板から作っていましたっけ。まさに職人技の世界。


それはさておき。この記事の中で、執筆者(取材者)でもある漆塗師の赤木明登さんが、「モノ」の外側に見えている面と、その内に潜んでいるものについて、次のような興味深いご意見を述べられていました。

「ボクたちの身の回りの世界は、視覚的で、名前のあるモノに偏っている。フレーミングされた、外側に見えるものの価値が重要と思われる傾向がある。その時に、置き去りにされ、忘れられてきたのは、フレームの中に収まっているはずの、複雑で多様でつかみどころのない中身だ。それは、目には見えないけれど、五感のすべてで感じるものなのだ。」(季刊「住む。」13号(春号)より引用)

この、「複雑で多様でつかみどころのない中身」という部分、左官職人の小林澄夫さんがおっしゃっていた、「素材の無償性」という言葉と、かなり重なり合う捉え方のように思えます。そして、小林さんも、自著(「左官礼賛」 発行:石風社)の中で、現代社会(企業)が、「素材の無償性」を忘れてきてしまった、と指摘されていましたし。


そして、前述の言葉に続けて、赤木さんは、次のように述べられています。

「その中身は、目に見える形を超えて、いろいろなモノとつながりあっている。だから、混沌としているけれど、何か生き生きとしたものが潜んでいる。なのに、形として、一度切り取られてしまうと、周りのモノすべてと隔絶したような、交わることのないモノになってしまう。」(同引用)

この箇所も、そう。中身にあるのは、素材がまだ自然の中にあったときの、記憶。記憶を介して、自然界にあったあらゆるものどうしが繋がり合っているのではないでしょうか。
無機質な「モノ」に、生命感を感じる時。物言わぬ「モノ」が、何かを語りかけてくるように感じる時。
その「モノ」を形作った作者が、ただのルーチンワーク的な作業ではなく、長い時間をかけてその対象と向き合って制作してきた姿が、想像できませんか?ひたすらに対話を繰り返し、その「モノ」が内に秘めた記憶を探り出し、記憶の連鎖を断ち切らないように、繊細に注意を払いながら、新たな記憶を紡ぎだす作業。それが、物を作るということなのでは、と思うことがあります。
しかし、その記憶の連鎖を、不用意に断ち切ってしまうようなまねをすれば、その「モノ」からは、もはや何の息吹も聞こえてこないようになってしまうのかもしれません。


何を、どのようにして作るのか」という赤木さんの問いに、無口な長谷川さんがようやく答えた言葉は、「林の中をいつも彷徨っている。」
深く、重く、とても含蓄のある言葉だと感じます。

ところで、前述の赤木さんの言葉には、非常に「なるほど」と頷かされるのですが、一箇所だけ、気になるところがあって。それは、長谷川さんの答えを受けて、「作りたいモノも、形も竹次郎さんにはないのだ」と書かれた箇所。何度読み返しても、私はそこで毎回何かひっかかってしまうのです。

「世界の中に自分がいて、自分の中にも、また世界がある。」そんなことを、以前書きました(「私に出来ること(05/3/3)」)。そしてまた、「モノ」の中にも、同じように広い世界があるように感じる時があります。
現実の世界の中にある、「」。自分の中にもある、「」。そして、「モノ」の中にある「」・・・。3者の中に果てもなく広がる林の中を彷徨いながら、揺らめく木洩れ日を目で追い、風に吹かれる木々のざわめきや鳥のさえずりを聞く。土の匂い、植物たちの匂いが身を包み、歩き疲れた体を癒そうと、冷たい泉の水を口に含み、恵みの果実をそっとわけてもらう。五感を研ぎ澄ませて、世界の、自分の、そして「モノ」の、それぞれの内から発せられる「声」を聞こうとする。その「声」と、対話しようとする。お前は、私は、何を望むのか。お前は、私は、どんな形になりたいと願うのか。そして、お前とは、私とは、いったい何なのか・・・。その、内に秘められた「声」を探し求めて、「いつも彷徨っている」のではないか・・・。そんな風にも思えるのです。


それから、赤木さんの文章を何度も読み返しているうちに、今の世界は視覚重視で、忘れられてしまった「中身」は、五感のすべてで感じるものだ、というご意見が、ネフ社のクラーセンさんのおっしゃっていたこと(「De + sign(05/4/14)」)とほとんど同じじゃないか、ということにも改めて気づきました。
工芸を生業とされている方は、ひたすらに素材と向き合い、手を動かし、五感を総動員して制作をすることで、皆同じような境地にたどり着くのかもしれません。


昨日も書きましたが、今まで自分の中で漠然と感じていたことが、ひとつに繋がりそうな予感がしてはいます。しかし、今日のこのまとまりのない文章を見ると、まだ、自分の中でもしっかりとしたものには整理できていないようです。あぶないあぶない。また、分かったような気になって、慢心してしまうところでした・・・。
頭で分かった気になるのと、実感するのとは、また別の話。自分のこととして、真に理解でき、実感するようになるのは、まだまだ遠い先のことのようです。


あなたは、何を願っていますか?




またしても、長々とまとまりのない文章となってしまいましたが、読んで下さってありがとうございました。
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2005年05月15日

素材の記憶、「もの」の記憶。

「金属」というと、皆さんは、どんな印象をもたれるのでしょうか?
メタリック感、などというと、ぴかぴかに鏡面のように磨き上げられた感じがしますね。
アルミやステンレス、メッキ加工などの、銀色に輝く感じ。
ひんやりと冷たい印象。クールな感じ。工業的。硬質なイメージ。

でも、私が日々制作している「もの」たちは、そうしたいわゆる一般的な金属の印象からは、だいぶかけ離れているかもしれません。
表面は、ハンマーで叩いて形づくった跡、いわゆる鎚目の表情がついている。
色合いも、基本的にほとんど黒っぽい。時には、あえてわざと錆びさせることも。
そして、金属という素材に抱かれる印象に相反するように、私はそこに、ぬくもりや柔らかさを探し求めてしまいます。


他の素材を扱っている工房の学生が、たまに、自分の工房の素材と組み合わせようと、金属工房に制作に訪れることがあります。でも、その時、最後の仕上げで、つるつるのぴかぴかに削り直し、磨き上げてしまうのを目にする事があります。それはそれで、「金属らしい」ということで、いいのかもしれませんが・・・。私は個人的には、そういう仕上げは好きではありません。

鍛造という技法で制作したとしても、最終的には鎚目も分からないくらいに仕上げるのが、本来あるべき姿なのかもしれません。いわば、職人技を駆使した世界。そして、それを、「美しい」というのかもしれません。
けれども私は、ぼこぼことした鎚目や、錆びて凹凸のある表面、コークス(石炭)で焼いて鍛造した時にしか出ない、繊細な模様に、とても魅せられてしまうのです(フェチ?)。


何故そう感じるのか、今まで自分でもあまり深く考えたことはなかったのですが、先日ある言葉に出会ったおかげで、自分の中で漠然とばらばらに感じていた事が、急にリンクしあって、ひとつに繋がったように思えたのです。

「アルミサッシュはアルミサッシュでしかないが、木の窓枠は、窓枠であるとともにそれ以上のもの、いわば木であった時代の記憶をもち、土の壁は壁であるとともにいつも壁以上のもの、大地の記憶をもっているものだ。」(「左官礼賛」 著:小林澄夫 発行:石風社 より引用)

この言葉は、小林澄夫さんという左官職人の方が自著の中で述べられているもので、この方は、月刊「左官教室」という雑誌(そんな雑誌があるんですね)の編集長も、長きに渡って務められていたそうです。先週の講義の中で、美術史の講師の方が、この本を紹介され、その中で出会った言葉でした。

小林さんは、かつての左官職人は、「素材の無償性への感受性」を持っていた、とおっしゃっています。「素材の無償性」・・・。難しい言葉ですね。小林さんがおっしゃるには、前述の、「木であった時代の記憶」や「大地の記憶」といった、「もの」以上の何か、「それを無償性と私達はいうのだ」そうです。(「 」内の太字部分は、すべて「左官礼賛」よりの引用です


この本を紹介した講師の方は、「工芸を志すなら、このことを自分の扱う素材に置き換えて考えてみろ」と言われました。私の扱う素材は、金属・・・主に鉄です。今では、「鍛造」といえども、材料としているのは、工場で成形された鉄板や棒材などの無垢材。それこそ、そこには鋼材、という意味くらいしか見出す事はできません。
さらにそこから遡れば、鋼材の原材料となるのは、鉄鉱石や各種金属の鉱石。そう考えると、そこにはやはり、「大地の記憶」があるのでしょうか・・・。
小林さんのおっしゃるこれらの言葉は、主に素材と完成品との関係なのですが、金属の場合、直接鉄鉱石を使うわけではなく、原材料と完成品(自分の作る作品)との中間にある鋼材が、すでに「大地の記憶」からかけ離れすぎてしまっているので、素材(原材料)と完成品との関係を掴みづらいところはあるのですが・・・。


でも、私は、この言葉をかみしめているうちに、前述のように、つるつるのぴかぴかが何故あまり好きではなくて、表面に浮かび上がる表情に何故魅せられるのか、自分なりの答えを見出したように感じました。
簡単に言ってしまえば、それは、その表情に、作品が辿ってきた時間を感じるからなのだと思います。作品がその形へと形作られてきた、「記憶」が、そこに秘められているように感じるからなのだと・・・。
以前、「思い出の価(05/4/26)」という記述の中で、堀口すみれ子さんの、「もの」の価値とは、そのものに込められた思い出の価値で決まるのだ、という言葉を紹介しました。我々が、「もの」に込める思い出があるように、「もの」そのものにも、彼ら自身が持つ思い出があるのではないか・・・。そんな気がしてなりません。だからこそ、そうした思い出、記憶を消し去ってしまうことのように思えて、私は、つるつるのぴかぴかに仕上げてしまうことが嫌いなのかもしれないな、と思ったのです。


「左官礼賛」の中で、小林さんは、左官職人のなすべき仕事は、「ある意味が実現するよう素材をしてうながすだけだ」とし、左官職人に必要な技術(求められる役割、と言い換えてもいいかもしれません)については、次のように述べられています。

「素材の無償性を生かすこと、限られた意味へと素材を殺ぎ、切り落としていくのではなく、出来るだけ多様な意味をそこから救済しようとすること、そこに技術というものがあるのだ。」(同引用) 

この言葉は、左官職人に限った話ではなく、すべての工芸や職人に同じ事が言え、求められるものだと、講師の方はおっしゃっていました。はっきりいって、当たり前のことですが、難しい事この上ない話だとは思います。ただ、素材の持つ意味を最大限に汲み取って生かし、そこに新たな息吹を吹き込むこと、それこそが、「職人技」のように思います。


果たして、私は、今までにどれだけ素材の持つ意味に、気づく事ができてきたのでしょうか。これからどれほど、気づく事が出来るのでしょうか。そして、私の作るものは、果たして・・・。
そんな訳で、今日も今日とて、金属とにらめっこしては、う〜ん・・・と唸るばかりです。

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2005年05月12日

落ち葉が、かさかさ舞い落ちて

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枯葉が、かさかさ絡まって。


・・・枯葉に見えますでしょうか、本物の。
こちらの葉っぱたち、実はで出来ています。バイトを頼まれまして、銅板を加工して作ったものです。
これ、特に塗装など、特殊な仕上げは一切していないんですよ。熱して叩いて、ほんのちょっと焼き入れ(熱した後に、水で急冷)するだけの、自然な色合い。同じ色合い、同じ模様には決してならない、天然色。


でも、きれいな色合いは、なかなかコツがいるようです。熱し具合など、始めはタイミングが全然つかめずに、手間取りました・・・。うまくいくと、もっと赤くなったり、金色に近くなったりもするようですが。
20枚弱を制作するのに、2人で2時間。ちょっと時間かかっちゃいました。


う〜ん、こちらは、めっちゃ季節外れ、ですね。


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2005年05月10日

金属の手

握力、43kg。


私の、ではありません。女性の方の握力です。
その方は、アクセサリーやニット作品などを制作されている作家さんなのですが、知らない間に鍛えられていたそうです・・・。
(「桐の日常」より)


びっくりです。私の握力は、といえば、おぼろげに覚えている限りでは、小〜中学生くらいの時に20kg前後だったような・・・。ひ弱でした。
その後は計った覚えがないので、よく分かりませんが、たぶんそんなにないでしょうね。


作家さんご本人もおっしゃっているように、やはり毎日握力を使うお仕事をされているからなのだと思います。
職人の手。プロの手。



以前、ある鍛造の先生の工房へ、学校の仲間と連れだって見学に行った事がありました。
その時、その先生がみんなの手を見て、「君は木工をやっている人の手をしているな」だとか、「君は〜の手」、「君はまた不器用な手だな」などとおっしゃっていました。そして、「これが鍛造をしている人の手だ」と言って、広げて見せてくれたその先生の手は、指も太く、がっしりとした逞しさがありながら、たくさんのものを柔らかく包み込めそうな優しさも感じられるものでした。


ちなみにその時の私は、「君は何でも出来る手だ」と言われたのですが・・・。金属加工を始めて、早2年。以前に比べて、何だか指が太く、ごつくなってきたような気がします。日々、鉄に触れ、ハンマーを振るい・・・。



あの有名ブランドの創始者として有名なココ・シャネルは、次のように語ったそうです。
「20歳の顔は自然の贈り物。
 30歳の顔は生活を物語り、
 50歳の顔はあなたの責任。
 
 "Nature gives you the face you have at twenty.
   Life shapes the face you have at thirty.
   But at fifty, you get the face you deserve."」


この言葉は、歳を重ねるごとに、人の顔にはその人の人生が現れてくるというもので、つまりは、その人の内面の輝き次第なのだ、と言い換えられるかと思います。そして、これは、顔だけはなく、手にも現れてくるような気がします。
顔つきが人相なら、手つきは手相?「手相」と言うと、ちょっと占いめいていて、そっちの方は、本当かなぁ、とも思ってしまいますが、例えば、おじいちゃんやおばあちゃんの手を見たとき。その皺の中に、重ねてきた歳月の重みが、深く刻み込まれているように感じます。
「目は口ほどに物を言い」ともよく言いますが、「手も口ほどに〜」かもしれませんね。言葉にしなくとも、静かに語りかけてくる何かが、そこにはあるような気がします。



私も、そのうち、「鍛造をしている人の手」だと、言われるようになるのでしょうか。
そして、いつの日か、私の手が、あなたの手が、もしも何かを語りだすとしたら。その時、私の手は、あなたの手は、どんな人生の物語を語りかけてくれるのでしょうね。


 


↓ちなみに、こちらが課題で描いた、今の私の手。


050510-myhand


 




いつもありがとうございます。

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2005年04月27日

作者冥利

学校の卒業生が、今週末に結婚式をあげるのですが・・・。
「ウェルカムボード、作って〜」という話が、同級生の元へ来たのが先週末。
日曜の夜に、急遽私も召集を受け、ウェルカムボード制作プロジェクト、発足。
その夜のうちにデザインを決定し、月曜日から、授業の空き時間や放課後を使って、急ピッチで制作。
木工房の3名が、木枠担当。ステンドグラス担当は、ガラスに文字を焼き付け、金属担当の私は、蔦葉風の装飾を制作。
う〜ん、便利な学校です。

今日完成し、新婦に手渡す事ができました。
シンプルなデザインですが、新婦らしくさも感じられて、見せた時には、本当に喜んでくれました。

異なる素材を扱う者どうしでの、コラボレーション。
去年の後期の課題で、共通プロジェクトというコラボの課題があったのですが、その時は、ひとつのデザインを決定するのにも、恐ろしく膨大な時間を費やしていました。
その時に比べれば、限られた少ない時間内に、自分達も驚くほどスムーズに決定し、作業もめちゃっ早。
少しは私達も成長した、ということなのでしょうか・・・。

でもやっぱり、今回のようなものを作るのって、ほんと、嬉しいし楽しいんですよね。
贈る相手の事を考えながら作る。
どんな感じのものなら、喜んでくれるだろうか。
こんな風にしたら、どう思ってくれるだろう。
その人のことを想いながら、いろんなことを考えながら、作る。
そうして完成したものを、その人が見て、喜んでくれた時の笑顔。
それを見る事ができたとき、作る側としては、何よりも嬉しく感じます。
作者冥利に尽きる瞬間です。


そういえば、話はまったく変わりますが、私が1年生の時に作った写真箱があって。
本当は、同級生から注文を受けて作ったものだったのですが、学校側に頼まれて、長らく展示用の参考作品として貸し出されていました。
それが、約1年ぶりに手元に戻ってきたのですが・・・。

3年生になった今、改めて見ると、何というか・・・、ものすごく、作りが「若い」のです。
もう、「若すぎる〜、勘弁して下さい〜!」って感じだったのです。
たった2年足らずで、こうも変わるものかと、自分でもびっくりしました。

で、恐る恐る、当初の持ち主となるはずの同級生の元へ。
「これ・・・、どうしよう、作り直そうか・・・?」と聞くと、「その『若さ』がいいんじゃない」、と・・・。
結局、絶対手直しはしないで、と念を押され、仕上げの補修のみ行なうという約束で、今、手元にあります。
う〜ん・・・、これも、作者冥利に尽きる・・・のでしょうか?

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↑ちなみに、その「若すぎる」写真箱は、こちら。
posted by Metal_NEKO at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | Metal -NEKO- Works | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月19日

cinq・5・展、終了いたしました。

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昨日をもちまして、「cinq・5・展」、無事終了いたしました。
会期中は、お忙しいところ、また、遠方からも、本当にたくさんの方々にお越しいただき、重ね重ね、厚く御礼申し上げます。
皆様のおかげで、前回の展示会より、また少しステップアップできたように感じております。

皆様より頂きました、多くの貴重なご意見、ご感想、とても嬉しく受け止めております。
何かの折にでも、また、皆様より、ご意見、批評等頂けましたら幸いです。
それらを糧に、また、自らの反省も含め、今後に生かし、次回に繋げていきたいと思います。

まだまだ未熟ではありますが、回を重ねるごとに、わずかずつではあっても着実に成長し、皆様により完成度や質の高い、よい作品をご覧頂けるよう、また今日より努力し、制作に励んでまいりますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。

次回の展示会や、またの機会に、皆様にお目にかかれますことを願って。
簡単ではありますが、取り急ぎ、終了のご報告とお礼を述べさせて頂きました。
ありがとうございました。

posted by Metal_NEKO at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | Metal -NEKO- Works | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月15日

ギャラリーにいる時間が長くなるかもしれません。

明日から3日間、グループ展の会場にスタンバるため、東京へ行ってきます。
ちなみに、一昨日の書き込みで、私がスタンバっている時間をご連絡しましたが、シフト変更により、日曜月曜は、もしかするとまるまる一日会場にスタンバっているか、もしくは吉祥寺周辺をうろうろしていることになるかもしれません。
明日、土曜日は、やや時間が早まり、昼過ぎくらいからギャラリーにいるかと思います。

基本的には、前回お知らせの時間には、ほぼ確実にいるかと思いますが。
どうぞ、よろしくお願いいたします。見かけたら、お気軽にお声をお掛けください。

う〜ん。東京あたりでは、風邪がまた流行っているのでしょうか。
皆様も、お体にはくれぐれもお気をつけて。
それでは、ギャラリーでお会いしましょう。
posted by Metal_NEKO at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | Metal -NEKO- Works | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月13日

「cinq・5・展」、いよいよ明日から開催です!

d551d751.jpg今日、グループ展の搬入に行ってきました!
東京では、桜が楽しめるかと思ったのですが、もう葉桜なんですね・・・。
あ、でも、途中、山梨のあたりでは、桃(?)の花が一面に咲き誇り、通り過ぎる一瞬ではありましたが、ちょっと幸せな気分になりました。

なのに、搬入を終えてこちらへ帰ってくると、富士見の気温は2度
何それ?です。2時間半くらいの移動で、まるで日本列島を縦断してきたような、妙な感覚になります。


肝心の展示の様子は?といえば・・・。一足先にちょっとだけご紹介。
ちなみに、上の壁にかかっている絵は、今回同時開催の絵画グループの方々の作品です。

制作中は工房に雑然と置いていた作品達も、晴れ舞台に飾ってみると、新しい息吹を始めるようで、何だか頼もしく見えてきます。
・・・ん〜、親ばかですかね。


さて、そんなわけで、搬入も無事終わり、「cinq・5・展」、いよいよ明日から開催です!
以前にも掲載しましたが、改めて紹介させていただきます。


「cinq・5・展」

会期:2005年4月14日(木)〜4月18日(月)
時間:11:00〜19:00(最終日のみ17:00)
会場:mono gallery (吉祥寺)にて開催 

DM及びギャラリーの地図は、Metal NEKOでもUPしていますので、ご確認ください。

【参加メンバー】
鵜飼 理子 (金属)
中村 靖夫 (木工)
ナガイマユ  (ガラス)
船山 薫  (陶磁)
金子 恭史 (金属)

メンバーは、日本装飾美術学校の研修修了生3名+在校生2名。
生活を彩る器や装飾品、家具などの工芸作品の展示会です。
各々が異なる素材で、それぞれの得意とする技法を生かし、個性溢れる多彩な品々が揃いました。
春の新たな装いにふさわしい、新しい生活提案をこめて。

なお、私自身は、会期中、下記の時間にギャラリーにスタンバイしております。
4月16日(土) 15:00〜19:00
4月17日(日) 11:00〜15:00
4月18日(月) 15:00〜17:00

短時間ではありますが、皆様とお会いできる事を楽しみに、ご来場をお待ちしております。
上記時間以外にも、他の参加メンバーが常時ギャラリーに居りますので、お気軽に声をおかけください。
よろしくお願いいたします。
posted by Metal_NEKO at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | Metal -NEKO- Works | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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