2009年05月10日

「何が伝わるか」

土曜日に開催された「みずかがみ夜会」を見に、松本まで行ってきました。

学生達が頑張って制作や準備を進めていた様子をみて、私もだいぶ期待して楽しみに見に行ったのですが・・・。
頑張っていたのを知っていただけになおさら、個々の見せ方や全体の進め方や段取りなど、正直残念に感じる点が多々ありました。

私も学校で教える立場の1人でもあり、また、このブログでイベントのご案内をした経緯もありますので、至らぬ点が多々ありましたこと、このような場ではございますが、深くお詫び申し上げます。
多くのご参加頂いた方や、イベントの開催にご尽力頂いた方々、関わって下さった皆様には、大変申し訳ございませんでした。


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メールマガジンのRyuzu【リューズ】本誌で、ちょうど5月9日に紹介されていたのが、この言葉でした。
コミュニケーションで重要なのは、「何を伝えるか」ではなく、「何が伝わるか」です。
  『なぜか心にヒットする本』中村寛治著/文芸社刊
  Ryuzu【リューズ】5月9日号 株式会社コラージュ発行 より引用


今回のように、何かを作り、それを見てもらったり、使ってもらったりするような時にも、この言葉は当てはまるように思います。

自分もつい陥りがちですが、自分の目線や自分達の都合といったようなものから、どうやったら離れられるのかも、大切なのかもしれません。
どこを向いているのか。全体を見たときにはどうなのか。見に来て下さる方、参加して下さる方の視点から見たら、どうなのか。


イベントの後で、感想を、と求められ、思いがけずだったこともあって、つい素でストレートに感じたことを話してしまったのですが・・・。それも本当にそれで良かったのか、何か伝えられたのか。
ずっと考え込んでいた、帰りの車中は、いつになく重く長い道のりに感じました。


何かを作るということや、それを見てもらったり、使ってもらうということ。
それがどんなことなのか、当たり前のようでいて、でも一番大切で、もしかしたら一番難しいかもしれないことを、実習を通して、共に考えていければと、改めて思います。

「何を伝えるか」ではなく、「何が伝わるか」を心がけて。
 
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2009年02月28日

「未来を生き抜く力」

去年、姪っ子が産まれて、名実共に「おじさん」となった、私。
だからと言って、特に何か「叔父」らしいことをしているわけでもないのですが(^^ゞ。

でもやっぱり、「おじさん」は「おじさん」。
子どもの存在を、より身近に感じるようになったのかもしれません。

いつか兄に贈ろうかな、と思い、その前に自分でも読んでみようと買って、深く心を打たれてしまった一冊の本があります。



女の子が幸せになる子育て 未来を生き抜く力を与えたい
[出版社:かんき出版 著者:漆 紫穂子]
大人の役割は、
未来を生き抜く力を
子どもに与えることではないでしょうか。

心にスイッチが入ると、
子供は大きく成長を始めます。
大人ができることは
その環境作りをすることです。


お子さんが大人になるころの社会は、私たちの予想もつかないほど、大きく変わっているでしょう。そこで、どんな未来が来ても、自分の力で幸せな人生を切り開いていける力を身につけてもらいたいと願っています。

(本書より引用)

著者の漆紫穂子さんは、女子高の校長を務められている方です。
日経ビジネスオンラインで連載されていたコラム[品川女子学院・漆 紫穂子校長の やる気を高め、人を育てる(秘)メソッド]で知ったのですが、一時は廃校寸前だった学校の学校改革を成し遂げて、生まれ変わらせた方。
その学校や組織の改革の話や、教育についての大切なことなど、同時期に連載されていたスタント教授の教育の話と一緒に興味深く読んで感銘を受けては、考え込んでいました。


この本の題名には、「女の子」「子育て」との言葉がありますが、「女の子」に限らず、「子育て」にも限らず、本当に素晴らしい「教育」の本だと思います。大切な人たちに贈りたい、本当にお勧めしたい本です。

この本の中で、漆紫穂子さんが「大人の役割」として挙げられている、二つのこと。
・子供の心にスイッチが入る環境を整えること
・子供たちに、「未来を生き抜く力」を与えること。
(本書よりの引用です。)

この「大人」のところは、指導する人教える人と言い換えてもいいでしょうし、「子供」も同様に、学生教わる人と言い換えてもぴったり当てはまります。

そして、挙げられている二つのことが、一番根幹となる大切なことなのだと思います。

心のスイッチ、「やる気のスイッチ」を入れること。

そして、「未来を生き抜く力」

学んでいく力を身につけてもらうことが、「教える」ということを通して、とても大切なことなのではないか、と感じます。漆紫穂子さんが校長を努められている品川女学院では、「28歳になったときに自立している女性を育てることを教育目標として揚げて」いらっしゃるそうです。(「 」内は、本書よりの引用です。)

学校を卒業してからの人生の方が遥かに長く、その道のりの中で直面することの方が、遥かに難問で、比べようもなく困難なこと。それに立ち向かい乗り越えていくために、必要な、基礎となる力。


先日のNHKで放送された、[プロフェッショナル 仕事の流儀]で、71歳になられた料理人の西健一郎さんがおっしゃられていたこと。
「人間、死ぬまで勉強」

茂木健一郎の「超一流の仕事脳」 日経ビジネスオンライン
「奥のある味」の秘密 〜 日本料理人・西健一郎 〜 より引用


茂木健一郎さんは、受験勉強や大学での学問を取り上げ、こんなこともおっしゃられていました。

本当に大切なのは、「学ぶ」という
ことに対する情熱を植え付けることである。

そうすれば、今の時代、いくらでも
独学できる。

子どもたちの心に火をつけよ。
自分の心に火をつけよ。

2009/02/16 how to argue [茂木健一郎 クオリア日記]より引用

学んでいく力。応用し、適応させ、自分自身を成長させていく力。
教え、引き出し、育んでいくこととは、その基礎となるようなことなのかもしれません。

必要なこと、大切なこと。
何度も読み返しては考え、探し、向かい合わせてくれる、そんな本です。

 

2009年02月23日

辿り着いては辿り着く

日曜日は、卒展に行く予定でいたのですが、急な仕事が入ってしまって・・・。
出先から直行で六本木に向かったのですが、お約束の行楽帰りの渋滞にも巻き込まれるわ、そもそも出た時間がもう遅かったこともあって、結局(案の定?)卒展には間に合わず。申し訳なかったなぁ。

でも、その後、集まろうと約束していた同級生や卒業生達とは、無事合流できました。
やっぱり、人には、直接会って話せるのが一番ですね。


と、言った傍から何ですが、会って話すだけでは、やっぱり足りないこともたくさんありますね。自分はあんまりしゃべれる方ではないので、よけいに足りないのかもしれませんが・・・。

自分がやっていることや、大切にしたいと思っていることは、だからこそ、というのがあるのかもしれないな・・・、と。
みんなに会おう、と向かう車の中で一人、何となく考えていました。


人と出会い、人と向かい合う。
そうすることで、人の内にある大切なものを見つけたい、ということでもあるのかな、と。
そうして見つけたものを、大切にすること。

それが自分にとっての、大切なことなのだと。


作ることも、書くことも。
教えることや教わること、学ぶことも。

それもまた、さらに、より深く向かい合うための、ひとつの形でもあるのだと。



成長していく、ということ。
どこか遠くや高みや、遥かな先を目指していくように感じていたけれど、内にある大切なものに果てしなく近づいていき、辿り着いてはまた辿り着いていくことでもあるのかな、と。

帰る夜道の、車の中で一人、ふと。

 

2009年02月21日

結びつけ、繋いでいくためには。

先日、検査入院、というものをしてきました。

とは言っても、一晩病院に泊まって寝てきただけですが・・・。

そう、眠っている状態を調べる検査です。

ずっと睡眠がらみで悩んでいましたが、この機会に、と、思い切って専門の病院でしっかりと診てもらうことにしました。
原因が分かって、対策ができることを願って。


書こうか書くまいか、ちょっとためらったのですが・・・。今までの教育の話や、やる気やモチベーションの話にも、繋がるような気がしたので、思い切って。

睡眠の悩みもまた、やっぱり当人以外には、何かと誤解されがちだったり、なかなか理解してもらえにくかったりするのかもしれません。
たぶんそれは、眠る、ということも、誰にでも共通の身近すぎるくらいに、普通で当たり前のことで、だからどうしても、どこかでその人自身の目線で捉えられてしまいがち、になるからかもしれません。

例えば、昼間に強い眠けに襲われるような時、昔だったら「やる気や気合が足りないからだ」なんて言われてたりしたかもしれませんね。
でももしかしたら、その原因は、夜に質の高い深い眠りができていないからなのかもしれません。



それと同じように・・・。

どうも何かがうまくいっていないのでは、と思えるようなとき。

人によって、状況によって、やはり様々に違うその原因。
どこに原因があり、どうフォロー(対策)していけばいいのか。
自分の中にあるもの。
イメージ。目標や目的意識、意義。

形作り、実現させていく力。
知識や技術。基礎力。
集中力。持続させ、継続する力。
 
問題の解決力。
情報収集力。状況の把握や分析力。
応用力。発展力。

学んでいく力。
変化への対応や適応能力。 
自分自身を成長させていく力。

etc.
例えば、自分の中にあるものと、学んでいくこととが、うまく結び付けられずに、なかなか形にできない、というときも、多々あると思います。

それは、必要なことの何かが不十分、ということかもしれません。
あるいは、必要なものはあるけれど、それら同士が、どこかでうまく繋がっていない、ということかもしれません。


どこに原因があるのか。足りないものは何なのか。
見出すためには、引き出すためには、どうしたらいいのか。
結びつけ、繋げていくためには、どうしたらいいのか。

人によって、状況によって違う、そのそれぞれ。

そのそれぞれに、どこまで向き合い、フォローしていくことができたか、と言えば・・・。
やはり、どちらかと言えば、「教える」ことの方に偏ってしまっていたかもしれません。
そこが、反省点であり、課題なのだと思います。

当たり前のように大切なこと。
でもだからこそ、難しいことなのかもしれません。


 

2009年02月18日

「埋もれたやる気」

「切り捨てることは、誰にでもできる。上司や先輩として部下の育成能力が試されるのは、『埋もれたやる気』を引き出す時ではないだろうか」
(早稲田大学教授 カワン・スタント)


日経ビジネスオンライン:本気が作る「やる気」人間
[第12講 気持ちとは裏腹の表現がある]
より引用

以前、このブログでもご紹介した、スタント教授の「教育」


先日新しく掲載されたコラムを読んでも、やっぱりスタント教授の、「教育」というものに向かい合う姿勢、学生に向き合う姿勢には、いつも感銘を受けます。
それに、やっぱりどこでも、同じような悩みを抱えているのですね。学校に限らず、職場でも、様々な、「教育」の現場で。


やる気を起こさせるには。モチベーションを高めるには。


実のところ、私にとっても、やはり、そこがまずひとつ、大きな悩みどころでもありました。

今は教える側からとして、ですが、私も二十歳前後の大学生の頃は、正直、決してやる気のある方の学生ではありませんでした。(^^ゞ
やっぱり、そのぐらいの頃って、自分が本当にやりたいことって何か、何をしたらいいのか、目標や目的意識がなかなか見つけられずに、結構悩んでもがいて、大学での講義や勉強もあまり身が入らない時期がありました。

その頃の自分や、今の学生達とは、もう10何年も歳が離れてしまって・・・。
いつの間にか、自分自身もそうだった、ということを忘れてしまっていたのかもしれませんね。


自分も、「そこ」に立ち返る。

そこに向かい合い、そこから考えたいことが、たくさんあるのだと思っています。

 

2009年02月11日

才能とは

昨日の語源の話のつながりで。

先日のasahi.comに、ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんが、母校の高校で講演したという記事が掲載されてました。その中の一節。
「勉強という言葉には苦しみを強いる意味があって私は大嫌い。でも英語studyの語源には知る楽しみという意味がある。本来、知ることは楽しいこと。ぜひ楽しみ方を覚えてください。」
 京都産業大教授 益川敏英さんの言葉 
Asahi.com 2009年2月8日 [益川さん「勉強よりstudyを」 母校で語る]より引用

「楽しむ」、ということ。

知ることや学ぶことに限らず、ありとあらゆるところに、楽しみ方は潜んでいるような気がします。
趣味でも、仕事でも。暮らすことや生きることそのものにも。

「楽しむ」ことを知っている人。

それは、必ずしも「『楽しいこと』をやっている人」という意味ではなかったりもします。


どうしてあの人は、あんなに凄いことを、やってのけるんだろう。
そんな風に、見ていて感嘆してしまうような人って、いますよね。

膨大な仕事の量を、ばりばりやってのけたり。
難易度の高いハードな仕事を、ひょうひょうとやってのけたり。
多彩なジャンルの仕事を、同時進行で次から次へとこなしていったり。


もちろん、仕事の進め方だったり、時間の使い方だったり、様々なビジネススキルが優れている、というのもあるのでしょうが。
でもそれ以前に、そんな風に高いモチベーションで挑戦し続けられるのは、もっと根底のところで、仕事の達成感はもとより、その仕事や作業そのものの中に、楽しみや面白さ、喜びを見出しているから、というのもあるのではないか、と、凄い人を見ていると思います。


仕事に限らず、どんなに自分が「やりたい」と思っていたことでも、それを実現させるためには、「自分がやりたいと思っている」ことや、「楽しいと思っている」ことだけではなく、「やらなければならないこと」がある。
そこには、自分が苦手なことだったり、あまりやりたくないことだったりも、当然のようにある。
でも、本当に「やりたい」ことだったら。実現させたくて、達成したいことだったなら。


「〜すべき」と考えるよりも。
「〜しなければならない」と思うよりも。

様々な物事の中に、楽しみを見つけられる人。楽しんでやれる人。
自分がやりたいと思うことを、本当に好きになれる人。その周りも含めて、好きでいられる人。

そして、それをずっと続けていくことができる人。


何かをやり遂げ、何かをできる人とは、そういう人なのかな、とも、私は思います。

「もし才能とかってあるとしたら、ずっと好きでいられる才能やないかな。自分自身がずっと飽きずにやり続けられる才能。それが強いと思うんよ。」
 陶芸家 恩塚正二さんの言葉
[平澤まりこさんの「ずっとこんなのほしかった。」(集英社) より引用]


「才能とは、一瞬のひらめきやきらめきではなく、情熱、努力を継続できる力だ。」
 棋士 羽生義治さんの言葉
 [NHK プロフェッショナル 仕事の流儀] より


  

2009年02月10日

引き出す

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最初に空を飛んだ鳥は 翼を広げた格好で
どのくらい助走をつけて 地面を蹴ったんだろう



よく言われることですが・・・。

「教育」を表す英語のeducation「子供の資質を引き出す行為」というのが、語源なんだそうですね。
(諸説あるのかもしれませんが、こちらを参照しました。→[語源辞典:スペースアルク]

改めて辞書を引いてみると、英語の動詞では、”educate”は、「教育する、養成する、訓練する」という意味ですが、”educe”だと、「(潜在的な能力などを)引き出す」という意味があるんですね。
(こちらは、Goo辞書(三省堂提供[EXCEED英和辞典])を参照しました。)



教えたり教わったりしていて、一番面白さや楽しさを感じたり、嬉しく思ったりすることは、同じことを教わっても、結果や出来上がってくるものは、みんなそれぞれ違う、というところです。
何だか当たり前すぎて、何をいまさら、という感じですが、やっぱりそこが、一番心躍るような、興味深いところだと感じています。

誰もが、誰もの内に持っているものがあり、その人の内で育まれていく、その人であるような「核」となる部分があって。

内に育まれていくものと、学んでいくこと、培ってきたことが、その人の中で、一番その人らしく、いいバランスで、うまく結びついていくときに、心の通ったいいものや面白いもの、素晴らしいものが出来てくるのかもしれない。
様々な素敵な人や素晴らしいものに出会ったり、自分自身、反省と学びを繰り返していくなかで、そう思ったりもします。

 

2009年02月05日

スタント教授の「教育」

「教える」こと。

教えたいこと、教わりたいこと。
自分の身に照らしてみながら、考えたりもします。


学生の時に、自分が教わったこと、学んだこと。
学生の時に、自分が教わりたかったこと、学びたかったこと。

仕事をする上で必要だったこと。知っておいた方がいいこと。
仕事を始めてから教わったこと、学んだこと。
独立してから困り、必死になって調べたり、学んだりしたこと。
少しは何かを掴めたかのようになるまで、苦労を重ねてしまったこと。

自分が仕事をしていくうえで、学んできたこと。
現在進行形で、自らもっともっと学んでいきたいこと。
教え、時に共に学んでいけたら。


そんな風に思い、考えていたのですが・・・。
「教えるだけでなく、人を育ててこそ初めて『教育』となる。何かを教えるのは、知識やテクニックをアタマに埋め込めば十分。でも、『人を育てる』ためには精神や意識を奮い立たせることが大事。そのために、ボクは学生たちと真剣に向き合います」
―早稲田大学教授 カワン・スタント―

日経ビジネスオンライン:本気が作る「やる気」人間
[第1講 始まりは幸せを感じることから ―チャンスを気づかせてこそ、人は伸びる―]

自分が学生だったら、こんな教授に出会い、こんな講義を受けてみたい。

「人を育てる」スタント教授の講義の様子は、とても衝撃的でもありましたし、何よりも魅力的で活力に溢れていて、あっという間に惹きこまれてしまいした。

「教えること」「育てること」
スタント教授の「教育」が、自分はいったいどうしたらいいのだろうか、と、考え始めるきっかけを下さったように思います。

 

2009年02月04日

茂木さんのような好奇心

昨日、「一人の講師や作り手、人間としてのスタイルのようなものが、知らず知らずのうちに縛ってしまっていることもある」ということを、ちらっと書いたのですが、今日、茂木健一郎さんがブログに書かれていたことを拝見して、あぁ、そうか・・・、そうですよね、・・・と深く頷いてしまいました。自分も、そうありたい、と・・・。

人の表情というものはさまざまな
ことを伝えてくる。

子どもの表情が魅力的なのは、
世界に対するあふれるばかりの好奇心に
満ちているからだろう。

大人になってくると、次第に頑な
になる。

自分の枠はこれでございと決めつけて、
それを人にも押しつけようとする。

そのような人の表情は、子どものそれからは
遠い。

(中略)

別にエライ大人になどならなくていいから、
いつまでも子どものような表情を忘れない
人間でいたい。

「一つの美しい結晶(2009/2/4)」
[茂木健一郎 クオリア日記]より引用
 

茂木さんは同じブログで、こんなことも書かれていました。
世間の様子をつらつら見るに、
脳の成長のためにもっとも大切なことの
一つは、ソクラテスの言う「無知の知」
(awareness of ignorance)
ではないか。

自分は賢いとか、知っていると
思い込んでいる例があまりにも
多すぎる。

方法論にとらわれてしまうということも
ある。

「ソクラテスが闘った相手」(2009/2/1) 同ブログより引用


教える、教わる、学びの瞬間にいると、折りに触れ、そうしたことを実感します。
仕事の最中も、作業に没頭している時にも。
いろいろな人に会うときにも、様々な物事に出会うときにも。

時に、心を真っさらにして、とことん向き合いたくなります。


茂木さんの好奇心の強さは、本当に凄いなぁ、と、いつも感銘を受けます。
世界中に飛んでいき、数え切れない人々に出会い、深く向かい合い、深く知ろうとする。
茂木さんが本職(?)で執筆されている専門の文章は、私などにはとても難解で分からなかったりするのですけれど・・・。(^^ゞ

でも、そんな茂木さんが。
ぼくには、やっぱりいろいろ
わからないことがある。

わからないことに寄り添って
生きて行けたらいいな。

「わからない」(2008/12/11) 同ブログより引用


そんなふうに、ぽつりとつぶやかれるように。茂木さんは、本当に素敵な、魅力溢れる方だと、畏敬の念を覚えます。

茂木さんが好奇心に駆り立てられるようにして、深く地の領域を探求していくように。
この好奇心が、「学び」にとって、出発点であり、原動力ともなる、とても大切なものだと、やっぱり思うのです。

 

2009年02月03日

教え、育てること。

昨日は学校で、合評会がありました。

様々に異なるジャンルの講師の方の授業内容や講評を聞いたり、学生達の課題や作品を見たり、学生自身の説明や感想を聞いたりすることは、実のところ、私にとってもとても意義深いものです。

一つの分野の講師という立場であったり、一人の作り手としてのスタンスだったり。一人の人間としてのスタイルのようなものが、ついつい、「こうであるべき」だとか、「こうすべき」だとか思わせてしまったり、ついそう言ってしまったりするのかもしれません。

そうした、深めていくにつれて、知らず知らずのうちに縛りもしているようなものから、ふっと引き戻してくれるような、新鮮なようでいて懐かしいような感覚が、学生自身や彼らの作品と向かい合っているとき、そこにあるようにも思えてきます。


助手として一年、講師として一年。
この二年間を通して、「教える」、という現場で、自らもまだまだ未熟なまま、至らなかった点など、多くの反省と課題がありました。
主任の講師の方がいらっしゃるので、自分はサブというか、サポート的な役割・・・と意識してしまい、引いた立場に身を置いてしまっていたのではないか・・・というのも、大きな反省点でした。

「教え、育てる」、というのは、どういうことなのか・・・。
学校で教えることになってから、初めて(と言ってもいいくらい)そのことを考えるようになったのですが、「教える」ことと「育てる」ことは、実は同じではない、ということを、今さらながら感じたりもしました。


学校では、期末を迎えて合評会も終わり、今週末には、卒展が始まります。
何となくちょうどいい機会のような気もするので、考えていたことなど、何か少しずつでも、書いてみたいと思います。
たぶん、まとまりもなく、もちろん大したことも書けないことは、重々承知の上ですが・・・。反省を踏まえつつ、次に生かし、実践していけるようにと、自戒の意味も込めて。少しお付き合い頂ければ幸いです。


日本装飾美術学校卒業制作展(長野展)は、2月6日(金)〜8日(日)に、富士見町の本校にて開催されます。
詳しいご案内は、こちらをご参照ください。

 

2008年12月10日

教えること、学ぶこと。

教わることと学ぶことは、イコールではないが、教えることと学ぶことは、ほとんど一致すると言ってもいいくらい、重なりあっている。
よく言われることですが、やっぱり実感します。

考え過ぎたのか(?)、夜中に目が覚めて、眠れなくなってしまいました…。

教えること、伝えること。

教える、ということは、本当に難しい。当たり前のことすぎて、今更ながらですが、改めて、そう思います。

何を作るのか、どう作るのか。ともすれば、つい、そればかりになってしまいがちです。

でも、一番大切なのは、「何のために作るのか」なのだと思うのです。
「何のために」があるから、じゃあその為に何を作るか、というのが決まってくる。そうして、じゃあそれはどうやって作ったらいいか、と決まってくる。
(そうでない、ということも、多々あるかと思いますが)少なくとも、自分にとっては、それが至極まっとうな、ものづくりの順序だと考えています。
それに、「何のために」という芯の部分がしっかりしていると、様々な選択肢の中から、選びやすくもなり、ブレも少なくなります。

ただ、「何のため」なのか、という具体的な内容は、それこそ人それぞれ、状況によっても違いますから、それは、「教えられる」ものではないのかもしれません。

「どうして、その作り方で作ろうとしているのか。そもそも、それは、何を作るためなのか。何のために、それを作ろうとしているのか。」
自分自身にも、ずっと問いかけ続けている問い。
教えられるようなものではないのでしょうが、問いかけることや、また、別のものを通して、何か伝えられるものがあれば、と、思います。

何だか最近、痛切に感じることもあって…。努力します。

 
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